塩船観音寺本堂の諸像

  本尊は年8日間の開帳

住所

青梅市塩船194

 

 

訪問日

2008年5月3日、 2022年8月14日

 

 

 

拝観までの道

塩船観音寺はJR青梅線の河辺(かべ)駅の北、徒歩35分くらいのところにある。

駅の北口から都バスと西東京バスが出ていて「塩船観音入口」下車(ただし、同じ「塩船観音入口」でも両社のバス停は少し離れている)、徒歩8分くらいで仁王門に着く。

本堂の拝観は、本堂前の納経所に申し出ること。ただし本尊は秘仏で、1月1〜3日、1月16日、5月1〜3日、8月第2日曜日に開扉される(時間は要確認)。

 

塩船観音寺ホームページ

 

 

拝観料

本堂拝観料100円。ただし、毎月16日や本尊の開扉日はご縁日で無料(4月中旬から5月上旬のつつじ祭りの期間は、このほかに入山料として300円)

 

 

お寺のいわれ

寺伝によれば古代草創というが、不詳。

中世には金子氏、三田氏といった在地領主の外護を受けて発展した。この寺に残る仏像には、室町時代に三田氏によって修復されたことがわかっているものがある。

 

三田氏滅亡後は小田原北条氏により保護されたが、江戸時代にはやや寺運は傾き、十二坊あったといわれる子院は消滅した。しかし民衆の厚い信仰によって支えられ、江戸期の修理は近郊の人々の施財によってなされた。また、境内奥には広大なツツジの庭園が広がるが、これは戦後、地域の有志によって整備されたものという。

 

 

仏像の印象/拝観の環境

本堂の本尊である秘仏の千手観音像は、像高150センチ弱のやや小ぶりな立像である。丸顔に体は細身で、正面の腕も細くつくられ、また脇手は小さめにつくられていて、すらりとして洗練された印象の像である。下半身の衣は複雑にうねっているが、宋風ということなのであろうか。

像内より鎌倉中期の1264年の年記と仏師快勢らの名前が書かれた銘文が見つかっている。快勢については不詳だが、名前から快慶の流れを汲んだ仏師であるのかもしれない。外陣からの拝観のため像までの距離があるが、ライトが当てられているので、比較的よく拝観できる。

 

本尊厨子の左右に不動明王像と毘沙門天像が安置されている。不動像は一見して近世作だが、毘沙門天像はなかなかキレよく、またバランスのとれた像である。本尊と同時期の造像であるかもしれず、当初から千手観音を中尊とする三尊像の脇侍であった可能性がある。

 

本尊の厨子の両脇に14躰ずつ二十八部衆が安置されている。

二十八部衆はあまりなじみがない仏像であるが、地方のお寺をめぐると意外に作例が多い。千手観音の眷属で、千の手をもつ観音と二十八もの守護神の組み合わせはまさに「最強の救済」として信仰の対象となっていたのであろう。その最も古い作例は京都・三十三間堂の二十八部衆である。

塩船観音寺の二十八部衆は像高85センチ〜1メートルあまりと三十三間堂像に比べて小さく、また像容もいかにも地方作ではあるが、三十三間堂像に次ぐ古例として注目される。

ただし、5躰は室町時代の補作である。宝塔を掲げている毘沙門天像などがそうで、鎌倉時代の像に比べるとどうしても気迫やまとまりの点で劣る。

23躰が鎌倉後期の作で、そのうち8躰に造像銘があり、うち7躰に作者として定快の名が記されている。定快についてもどのような仏師であったかわかっていないが、銘文によると7体の造像は1268年から1288年までの長きに及んでおり、快勢らが本尊を造立しこの地を去った後も残って二十八部衆を作り続けた仏師であったのかもしれない。

 

拝観はやはり距離があるので、一眼鏡のようなものがあるとよい。本尊に比べれば洗練されない作風ではあるが、じっくり見ていくと味わいがある。

 

 

その他1

二十八部衆の一体、功徳天立像の頭部には1276年の墨書銘と頭髪などが納められていた。この年に亡くなった金王丸という子どもを悼んで納入されたということで、1968年に行われた修復の際、700年前のものとは思えない弾力のある黒髪であったという。

 

 

その他2

塩船観音寺には本堂内の仏像のほかにも、古代・中世までさかのぼれる古仏が伝わっている。

仁王門の仁王像は、江戸末期の修理銘に1184年、雲慶作とあるが、実際にはそれよりあとの作でと思われる。

像高は2メートル70センチを越え、堂々とした像。全体の動きや迫力は今ひとつだが、細部を見ていくとなかなか力強い。本堂の定快作の二十八部衆像との比較から、それらと同時期、すなわち鎌倉後期の作と推定される。

 

仁王門を入り正面の阿弥陀堂には、阿弥陀三尊像が安置されている。中尊は近世作だが、観音、勢至像は中世にさかのぼる像である。特に観音像は秘仏の千手観音像と作風が近く、同時期である可能性がある。ただし扉口からの拝観で、距離があり、見えづらい。

 

本堂下の薬師堂本尊の薬師如来立像は、体が不自然に長い一木造の像である。素朴な造形であり、年代を推測するのは難しいが、あるいは古代、この寺の草創期からの像であるのかもしれない。

 

 

さらに知りたい時は… 

「仏師と仏像を訪ねて19 定快」(『本郷』152)、山本勉、2021年3月

『月刊文化財』681、2020年6月

『生身と霊験 宗教的意味を踏まえた仏像の基礎的調査研究』(『東国乃仏像』三)、有賀祥隆ほか、2014年

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』10、中央公論美術出版、2014年

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』9、中央公論美術出版、2013年

『仁王』、一坂太郎、中公新書、2009年

「青梅・塩船観音寺鎌倉造像再々考」(『MUSEUM』580)、山本勉、2002年10月

『塩船観音寺二十八部衆像』、大悲山観音寺編、1988年

「青梅市・塩船観音寺二十八部衆像調査報告」(『三浦古文化』32)、山本勉、1982年11月

『秘仏開眼』、西村公朝、淡交社、1976年

 

 

仏像探訪記/東京都

本尊・千手観音像
本尊・千手観音像