真福寺の塑像仏頭

  愛知県きっての古刹に残る古代の仏像頭部

住所

岡崎市真福寺町字薬師山6

 

 

訪問日 

2008年8月24日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

 真福寺ホームページ・寺院紹介

 

 

 

拝観までの道

真福寺は岡崎市の北部。滝山寺からもうひとつ北側の丘陵地帯にある。

東岡崎駅から名鉄バス奥殿陣屋行き、足助行き、三河上郷行きなどで約20分、「東蔵前」バス停で下車し、そこから東へ1キロ半ほどで真福寺の仁王門に着く。途中、案内板も整備されているので、分かりやすい。

 

名鉄バス

 

仁王門からは急坂で、のぼりきった奥に参集殿(お寺のホームページで予約しておくと、ここで竹膳料理が賞味できる)、そこから小さな谷を隔てて、本堂、大師堂、菩提樹館(宝物館)などが建つ。

 

 

拝観料

菩提樹館入館料370円

 

 

お寺のいわれ

創建は古代、愛知県内でも最も古い寺院といわれる。寺伝によれば、仏教に反対して蘇我氏と聖徳太子に滅ぼされた物部守屋の子真福(まさち)が三河に流され、この地で泉から薬師仏が出現するという霊験を得て創建したのが真福寺であるという。

実際、真福寺東谷遺跡からは奈良時代以前の瓦が発掘されているし、この西三河には物部を名乗る豪族がいて、真福寺や滝山寺の檀越であったことがわかっていて、この寺伝は史実を一定踏まえてのものと思われる。なお、本堂の中央には厨子が置かれているが、その中は薬師仏が出現した井戸なのだという(本尊・水体薬師)。

 

平安時代以後天台寺院として栄えたが、2度の火災によって文献がほとんど残らないので詳しいことはわからない。戦国時代に寺領は侵食され衰えたが、江戸時代には徳川家の保護を受け、子院も6坊を数えた(このうち1坊のみ存続)。

 

 

拝観の環境

塑像仏頭は菩提樹館1階に展示。ケース越しではあるが、明るい中すぐ近くで拝観できる。

 

 

仏像の印象

本堂の斜めうしろに建つ菩提樹館には、創建当初像である可能性がある仏像の頭部が展示されている。

7〜8世紀の作と思われる塑像の仏頭で、平安末期に火災にあうまで本堂にあった像と思われる。その後の室町時代の大火を経て、頭部のみが伝えられ、江戸時代後期に本堂内で発見されたものという。50センチ弱の大きさ(面長は30センチ強)で、半丈六の如来坐像の頭部と考えられる。

いわゆる白鳳期から奈良時代前期には、木彫よりも銅、乾漆(漆と布によって造形)、塑像(土の彫刻)の仏像が多く造られていた。このうち、多大な費用がかかる乾漆造や銅造の大作は地方ではほとんど造られなかったようで、遺例は極めて少ない。それに対して比較的安価で制作ができる塑像は地方でも制作され、近年、古代の地方寺院の跡からの出土例が少なからず見られる。この真福寺の像は、頭部が残っていること、出土でなく伝世した例であることが、大変貴重である。

 

像はケースの中にごろりと置かれ、茫洋とした印象の顔つきでもあり、一見デスマスクのようでもある。しかし横から見ると、長く通った鼻、抑揚のある上唇のライン、切れ長の目など印象的である。螺髪はつけていないが、当麻寺金堂本尊のように木製で別につくってつけていたのかもしれない。

なお、真福寺にはこのほか数点の塑像仏頭が伝来しているが、公開していない。

 

 

その他(慈恵大師像について)

本堂裏の大師堂には、鎌倉時代の慈恵大師像が安置されている。容貌魁偉であったと伝えられる慈恵大師良源(元三大師とも)の顔つきが巧みに表現され、衣の襞(ひだ)はにぎやかにあらわされている。

 

像底部に長文の銘文があり、それによると、この像の発願者は良源の法灯を継ぐ栄盛という僧で、良源への熱烈な信仰から33躰の良源像を造ることを思い立った。途中から願を66躰へと広げて、日本全国66カ国にそれぞれ1躰ずつの安置を目指した。この真福寺像は1274年に造った3躰のうちのひとつである。さらに栄盛はこののち再度願を広げ、99躰造立をめざしたとある。

本当に99躰もの像を造り終えるたのかどうかは不明だが、京都・曼殊院と滋賀・本覚院(現在は延暦寺国宝殿安置)にもほぼ同じ姿と銘文の良源像が伝わっているので、数多くの像を世に送り出したことは確かである。

栄盛と真福寺の関係は不詳だが、良源像の三河国での安置場所としてこの寺が選ばれたことは、真福寺が中世における天台寺院として確固たる地位を占めていたことの証左であると考えることができよう。

なお、銘文に仏師名は慎快とある(ただし「慎」は異体字)。

 

堂内は比較的明るいが、堂の扉口からの拝観のため像まで距離があり、また像の前には鏡が置かれるなどしてやや拝観しづらい。

 

 

さらに知りたい時は…

『白鳳』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2015年

『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年

『天台のほとけ  その美術と三河の歴史』(展覧会図録)、岡崎市美術博物館、2003年

『新編岡崎市史』17、新編岡崎市史編集委員会、1984年

 

 

仏像探訪記/愛知県