東観音寺の諸仏

  偶数年の8月下旬に寺宝展開催

住所

豊橋市小松原町字坪尻14

 

 

訪問日 

2008年8月23日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

文化財ナビ愛知

 

 

 

拝観までの道

東観音寺(とうかんのんじ)の仏像は2年に一度、偶数年の8月下旬の土日に公開されている。2008年には8月23、24日が公開日だった。

 

*その後知人からの情報によれば、現在(2016年)、この公開は行われてはいないとのこと。

 

この寺は豊橋駅の東南、約10キロのところにある。かつてはすぐ近くを通るバス路線があったらしいが廃線となってしまった。現在の最寄りバス停は、豊鉄バス豊橋技科大線の「りすぱ豊橋」(りすぱ豊橋というのは資源化センターの余熱を使ったプールなどがある健康施設)。バスの本数は日中1時間に2本くらい。 

 

豊鉄バス

 

りすぱ豊橋から東南方向へ20分くらい歩くと、道が二股に分かれているので、左の道をとる。その分かれ道に東観音寺への矢印のある看板あり。そこからさらに15分くらいで東観音寺へ着く。

 

 

拝観料

寺宝展入場料500円

 

 

お寺のいわれ

寺伝によれば古代草創という。

もと海岸寄りにあったが、江戸時代前期に地震と津波で破壊され、現在地に移った。戦国時代、戸田氏、今川氏の保護を受け、江戸時代には将軍家の祈願所として寺領100石を誇った。また民衆の尊崇も厚く、沖を航行する船も帆を下ろして敬意を表したという。

なお、東観音寺の「東」は方向を意味するのでなく、観音の縁日である「十八日」の3文字を重ね合わせたものだそうだ。

 

 

拝観の環境

仏像は収蔵庫(宝蔵)に安置されている。いずれも近くに寄って拝観できる。

 

 

仏像の印象

収蔵庫中央には、阿弥陀如来像が安置されている。

像高約140センチの坐像なので、半丈六像であり、この地方屈指の大像といえる。定朝様式の仏像で、平安末期の造像と思われる。螺髪はやや大きく、顔は目鼻口が下によってあごが小さく表現されている。ほおは引き締まる。衣の流れはきわめて流麗である。

近年の調査で木寄せが分かり、康慶作の興福寺南円堂不空羂索観音像のつくりに近いという。

 

阿弥陀如来像の左右には、2組の二天像が安置されている。

阿弥陀像の脇に置かれている二天像は、像高1メートルあまり。カヤあるいはヒノキの一木造で、内ぐりもない古様の像である。顔面を除く全身に鑿(ノミ)の痕を残し、鉈彫り像というべき像で、彩色は施さない。ひとつひとつのノミの痕は短く不規則で、鉈彫り彫刻の中では比較的下った時代のものと思われる。怒りの表情や腕をあげる躍動感、太い首など、ややぎこちないが、面白味のある像である。

 

その外側の二天は像高約150センチ、やはり動きがややぎこちなく、また後補の彩色がさらに剥落していることもあり、当初の像容をうかがうことが難しい。しかも向って左の像は頭部そのものが後補であるという。向って右の像は調査の結果、玉眼は後の時代のものであり、制作当初は彫眼であったらしいと分かった。これにより、この二天像は鎌倉時代以前、すなわち阿弥陀像と同時の造立である可能性が出て来た。

今後修理されて像容が一新すれば、評価はまた変わってくるのかもしれない。

 

阿弥陀如来像に向って右側手前には、馬頭観音の懸仏がケースに入って置かれている。

直径34センチあまりの鏡面をかたどった円板に馬頭観音の坐像をとりつけたもので、もとお堂に懸けられていたと伝える。1271年の年記と、寄進者としてこの地域の地頭であった有力な鎌倉御家人、安達泰盛の名前が像の左右に彫られている。

銘文のある懸仏としては古例であり、きりりとした姿で、保存状態もよい。

 

 

その他

東観音寺は絵画や古文書類も多数所蔵し、この寺宝展では方丈、本坊をフルに使って展示公開されていた。特に、白隠の大きな達磨図が素晴らしい。

 

なお、同時期に豊橋市内の他寺院(長沢蘆雪のふすま絵で知られる正宗寺など)でも寺宝展が開催される。問い合わせは豊橋市商業観光課(電話 0532-51-2430)へ。

 

 

さらに知りたい時は…

『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年

『豊橋の寺宝Ⅰ 東観音寺展』(展覧会図録)、豊橋市美術博物館、2000年

『鏡像と懸仏』(『日本の美術』284)、難波田徹、至文堂、1990年1月

 

 

仏像探訪記/愛知県