専長寺の阿弥陀如来像

  源実朝の妻ゆかりの寺院の旧本尊

住所

西尾市吉良町吉田斉藤久100

 

 

訪問日

2011年12月11日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

西尾市・文化財・国指定

 

 

 

拝観までの道

専長寺は、名鉄西尾線、蒲郡線の吉良吉田駅の北、徒歩5分ほどのところにある。

拝観は事前連絡が必要。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺や仏像のいわれなど

専長寺は15世紀の創建の浄土宗寺院。

本尊の阿弥陀如来像は、お寺の創建よりも早い鎌倉時代の作で、近代初期に京都から運ばれて来た像である。

 

本像は、遍照心院の旧本尊である。

この寺は源実朝の正室、本覚尼にはじまる。彼女は藤原北家の流れを汲む公家、坊門家の出身で、実朝の1歳年下。夫婦仲はよかったというが子はなく、実朝暗殺の後、20代半ばの若さで寿福寺にて出家をした。

彼女がいつ京都に戻ったかは定かでないが、西八条に住んだために、西八条禅尼とも称された。

西八条の地は、もとをたどれば平清盛の館があり、源平の合戦後に頼朝領、それが実朝を経て本覚尼へと伝わった。のちに彼女はここを寺とし、真空という僧を開山に招いて遍照心院としたのである。

真空は唐招提寺流の律宗を受けついだ高僧で、三論宗や真言宗にも通じ、この寺も諸宗兼学であったらしい。

 

遍照心院も他の京都の寺院同様応仁の乱で打撃を受けたが、江戸時代前期〜中期にかけて復興した。

しかし、近代初期の廃仏と鉄道建設のための上地による打撃から立ち直ることはできず、8か寺あった子院のうち7つまでが廃された。最後に残った子院・東林院に本寺が併合する形で、寺地も東寺の南側へと移った。今、大通寺と称している小規模なお寺が、かつての遍照心院の後身である。

 

こうして遍照心院の仏像の多くは、現在大通寺に現存するが、どのようないきさつからか、本堂と本尊および四天王像については別に扱われ、新京極の誓願寺に移された。さらに、本尊の阿弥陀如来像だけが再び移坐されることとなり、この専長寺へともたらされたのである。移動は海路であったという。

ちなみに誓願寺は20世紀前半に火事にあい、遍照心院の元本堂と四天王像は失われてしまった。四天王像は写真が残っており、大仏殿様(鎌倉復興期に慶派一門によってつくられ、今は失われた東大寺大仏殿の四天王像にならった姿)のスタイルであったことがわかっている。

 

 

拝観の環境

本堂は南面する。私は冬場、午前の早い時間にうかがったので、まだ低い太陽からの光がが東南よりお堂に差し込み、たいへんよい条件で拝観させていただけた。

 

 

仏像の印象

像高は1メートル半弱の坐像。半丈六像である。

比較的珍しい説法印を結ぶ。

針葉樹の材による寄木造で玉眼。像内は黒漆塗りという入念な作であり、台座、光背まで完好で、保存状態は大変よい。

 

顔立ちは、切れ長でややまなじりがつりあがった目が印象的である。

螺髪は大きめの粒で、髪際は正面でわずかにカーブする。肉髻は、この時代の仏像は低いものが多いが、この像は比較的高くつくっている。

面長で引き締まった顔つきであり、頭部はやや前傾する。

上半身は堂々とつくり、胸には厚みがある。衣はやや装飾的でにぎやかだが、自然さを失っていない。

説法印は、親指と中指で丸をつくり、親指の頭をわずかに出す形で左右の手が近接する。手首がぐっと曲がり、丸をつくっていない指の広がりも緊張感がある。

膝は左右によく張って安定感をだし、また脚部は自然な起伏をあらわしている。

像と同じくらいの高さの立派な台座にのり、また光背には9躰の飛天をつけている。

 

本像の制作年代だが、実朝の13回忌(1231年)に本覚尼が御所を堂に改めたという記録があるのでその頃か、またはそれからあまり遠くない時期、すなわち13世紀半ばごろの作と思われる。

 

 

その他1(阿弥陀如来立像について)

本尊に向って左側にやはり鎌倉時代の阿弥陀如来像が立つ。廃寺になった近隣の寺から移されて来た像とのこと。快慶が得意とした3尺の来迎印の阿弥陀像で、割矧(わりは)ぎ造だそうだ。

 

 

その他2(金蓮寺と海蔵寺について)

専長寺から歩いて行けるところに、金蓮寺、海蔵寺があり、鎌倉期の仏像がまつられている。

 

金蓮寺は専長寺の北、徒歩で20〜25分くらい。

弥陀堂が有名で、愛知県では犬山城、茶室の如庵とともに国宝建造物である。拝観料は200円。一応連絡を入れて行くのがよいと思う。

弥陀堂本尊、阿弥陀如来坐像は鎌倉時代の作。両脇侍像はややあとの時代に補作されたものであるらしい。

堂内で近くよりよく拝観させていただける。照明はないが、外の明かりを入れてくださる。

 

海蔵寺は、専長寺の北北西、吉良図書館のすぐ南にある比較的規模の大きなお寺である。専長寺からはやはり徒歩で20〜25分くらい。

本尊の阿弥陀如来坐像は、定朝様を受け継ぐ鎌倉時代前期の落ち着いた仏像である。外陣からの拝観で、堂内は明るくない上に像までの距離があり、細部までは分かりづらい。

事前連絡必要、志納。

 

 

さらに知りたい時は…

『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年

『京都の鎌倉時代彫刻』(『日本の美術』535)、伊東史朗、ぎょうせい、2010年12月

「専長寺阿弥陀如来像と『宋風』彫刻」(『愛知県史研究』11)、伊東史朗、2008年

『中世寺院の風景』、細川涼一、新曜社、1997年

 

 

仏像探訪記/愛知県