庄薬師堂収蔵庫の古仏 

  奈良〜平安初期の像を伝える

住所

松山市庄810

 

 

訪問日

2009年3月28日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

松山市ホームページ・木心乾漆菩薩立像    木造菩薩立像

 

 

 

拝観までの道

松山駅から北へJRの各駅停車で20分ほど、伊予北条という駅がある。

ここは、2005年に松山市と合併するまでは北条市という自治体であった。西は瀬戸内海に面し、北東と西南は丘陵地帯で、その間にきれいな三角形の北条平野が広がっている。

伊予北条駅から東へ2キロ半くらいのところ、北条平野の東部に薬師堂がたっている。広々とした畑のなかにお堂の屋根が見えて、いかにものどかな風景である。

 

普段無住のお堂で、拝観はそこから東北に進んだ十輪寺というお寺が所管しているので、事前に申し込む。

伊予北条の駅から歩くと薬師堂まで40分くらい、十輪寺まで50分くらいである。また、駅前にはタクシーが常駐している。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺のいわれな

北条の名前の由来は、古代の律令国家がここに条里制をしいた、その「条」からきているといわれる。また、この地域には東大寺や法隆寺の荘園があったことが知られ、早くから中央の文化が及んだようで、庄府寺というかなりの規模のお寺があったと伝えるが、今残るのはこの薬師堂および向かい合わせに建てられている収蔵庫ばかりである。

 

 

拝観の環境

収蔵庫の中で間近に、また側面や背面も拝観できる。

 

 

仏像の印象

収蔵庫には重要文化財指定を受けている2躰の破損仏が安置されている。

向って左側は木心乾漆菩薩立像で、像高は230センチ余り。頭部、腕など破損が著しく、表面の乾漆もほとんど剥落しているが、幸い面相部に比較的よく残り、かろうじて本来の像容を偲ぶよすがになる。顔は比較的小さく下半身が長い。胸、腹、腰の各部分はがっしりして、また裙の折り返しや両足の間などの衣褶はおもしろい。樹種はセンダン。

 

向って左側の像は木造菩薩立像で、足先は失っているが、現状で2メートル以上の像高があり、上述の木心乾漆の菩薩立像と同じく堂々たる像であったと想像される。クスノキ科の木材によってつくられている。

まげは高く、顔は引き締まっている。顔の左側は補われているが、右側が比較的よく残っているので、かろうじて在りし日の姿を想像できる。胸や腕にアクセサリーをつける。腹はよくくびれてメリハリがきいているが、同時に強い張りを感じる。裙の折り返しや下半身の衣は、縦の線と横の弧状の線、そして渦巻きの文様が組み合わさって、たいへん面白い。また、弧状に連なった衣文の襞(ひだ)には翻波式衣文が鮮やかに見える。

いずれも奈良時代から平安時代初期の作。破損が進んではいるが、非常に見ごたえある仏像である。

 

 

その他

収蔵庫と向かい合わせに立つ薬師堂の本尊は、室町時代作の丈六の薬師坐像で、螺髪は大きく、長い首、上半身に比べ小さな下半身など、素朴なつくりの像である。

その左右に40躰ほどの破損仏が並べられている。小さいものが大半で、目鼻立ちもはっきりしないほど傷んでいるものが多い。かつて村の子どもが人形代わりにして遊んでいたこともあるとのことで、中には明らかにいたずらで顔を書いた痕のある像も。

最後列に並べられた4躰は比較的大きく、また像容もうかがい知ることが可能である。アクセサリーを共木から彫り出し、条帛を前面で結んで留めるなど、唐招提寺の木彫群を思い起こさせる。胸に大きく穴のあいた像は、もともとウロのある材を使用していたようで、霊木を用いて造像された仏像なのかもしれない。

 

 

さらに知りたい時は…

「ほっとけない仏たち55 庄薬師堂の菩薩像」(『目の眼』526)、青木淳、2020年7月

「特集 よみがえれ、仏像!」(『芸術新潮』2015年5月号)

『日本美術全集』3、小学館、2013年

『続 古佛』、井上正、法蔵館、2012年

『平城の爛熟』(『人間の美術』4)、梅原猛・井上正、学習研究社、2003年

「謎を秘めた仏たち25 愛媛県庄の仏」(『目の眼』275)、川尻祐治、1999年8月

『海の仏』、藤森武、東京美術、1998年

『芸術新潮 特集・謎の仏像を訪ねる旅』、1991年2月

『愛媛県史 芸術・文化財』、愛媛県史編さん委員会、1986年

『愛媛の文化財』、愛媛県教育委員会、1982年

『解説版 新指定重要文化財3 彫刻』、毎日新聞社、1981年

『秘仏開眼』、西村公朝、淡交社、1976年

 

 

仏像探訪記/愛媛県