不動院の薬師如来像

  安国寺恵瓊ゆかりの寺の本尊

住所

広島市東区牛田新町3−4−9

 

 

訪問日

2007年4月15日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

広島県の文化財

 

 

 

拝観までの道

不動院は広島駅から北方に数キロ、東区内にある。

行き方は、広島駅北口または広島バスセンターから高陽団地方面行きバスに乗って、バス停「不動院」で下車するのが簡単なルートである(広島駅から約20分、バスの本数は多い)。

向い側の歩道に渡る陸橋からお寺の楼門が見える。

 

花々で彩られた短い参道の先の楼門に立つ仁王像は、鎌倉後期の1294年の銘を持つという。ヒノキの寄木造で、玉眼、鎌倉彫刻らしい動きと安定感をともにもつ像である。

その先に金堂がある。

 

なお、金堂は現在保存修理工事が行われている。2014年の年末ごろまでの予定とのこと。

 

不動院ホームページ

 

 

拝観料

特に拝観料等の設定はなかった。

 

 

お寺のいわれ

金堂は天井画の賛に戦国時代の1540年の年記があるため、この頃のものと考えられている。

もともとは大内氏が山口に建立した寺院にあったものを、安国寺恵瓊(えけい)が移築したと伝える。禅宗仏殿建築としては現存最大の規模を誇り、堂々として、また屋根のカーブなど美しい。原爆の被害にあいながらも倒壊を免れ、広島市内唯一の国宝建築として知られる。

 

その本尊は平安時代の仏像であることから、寺の歴史は古代にさかのぼる可能性がある。しかし、寺号を含め、創建当初の事情はまったく伝わっていない。南北朝時代、足利氏が各国ごと定めた安国寺となり、安芸の守護武田氏の菩提寺としても栄えた。戦国の動乱で武田氏が滅亡すると衰退したが、安国寺恵瓊がこの寺を復興した。

 

安国寺恵瓊は毛利氏の外交僧として活躍した人物で、戦国〜桃山の歴史でたびたび登場するが、その名前の由来はこの安芸国の安国寺の住職であったことによる。彼はのちに京都の東福寺や南禅寺の住持となる一方、秀吉によって大名に取り立てられ、関ヶ原戦役では西軍の中心人物の一人として処刑されるという波瀾の生涯を送るが、高い地位に昇ってからも、この安芸国の安国寺住持を兼ね続けた。

恵瓊なきあと安芸国に入った福島正則がこの寺を禅宗から真言宗に変え、寺号も不動院と改められて今日に至っている。

 

 

拝観の環境

金堂の扉の一部分にガラス窓がつけられていて、本尊を拝観できるようになっているが、像までの距離が遠いため、細部まではよく分らない。

1月1〜3日と5月5日に金堂の開扉が行われるそうなので、この日に行けばよく拝観できると思われる。

 

 

仏像の印象

本尊の薬師如来坐像は像高は約140センチ、すなわち半丈六像である。ヒノキの寄木造で、小粒な螺髪、落ち着いた顔つき、ゆったりした胸、流麗な衣紋、やや小ぶりな膝など、貴族好みの優美な姿で、いわゆる定朝様式の彫刻であり、時代は平安時代後・末期と考えられる。

 

 

その他

このほか金堂には珍しい中世塑像の肖像彫刻も安置されているそうだが、残念ながら正面の扉ごしからは分らなかった。

 

 

さらに知りたい時は…

『密教古寺巡礼』3、小山和、東方出版、1987年

 

 

仏像探訪記/広島県