徳楽寺の萩の薬師

毎年5月8日に開扉

住所
軽米町大字軽米4-1


訪問日 
2025年8月25日


この仏像の姿は(外部リンク)
岩手県公式観光サイトいわての旅



拝観までの道
徳楽寺のある軽米町(かるまいまち)は岩手県北部の内陸部にある。鉄道は通っていない。高速バスや町内のコミュニティバスもあるが、アクセスとして一般的なのは八戸からの南部バスか二戸からJRバス東北である。ともに軽米病院行きで、徳楽寺は「軽米」下車。バスの進行方向へ300メートルくらい行ったところにある。
徳楽寺に伝わる薬師如来像はかつては33年に1度の開帳仏であったが、現在は1年に1度、5月8日に扉が開かれて拝観できる。
私がうかがったのは開扉日ではなかったが、お願いして拝観させていただいた。ご親切にご案内くださったのだが、5月8日にお参りいただくとよかったともおっしゃっていたので、申し訳なかった。


拝観料
志納


お寺や仏像のいわれなど
徳楽寺は曹洞宗寺院。開かれたのは16世紀半ばである。このお寺の薬師堂に伝わる仏像は平安時代の作と考えられており、お寺の草創よりもはるかに古いが、どのような経緯でこのお寺にまつらたのかは不明。
薬師如来像は「萩の薬師(萩薬師)」として多くの信仰を集め、近世から近代にかけて奉納された絵馬もたくさん伝えられている。「萩の薬師」の萩は、秋の花として知られるあの萩ではなく、雌木のカツラの大木を萩桂といったらしい(カツラは雄花の木と雌花の木が別、つまり雌雄異株)。近くの萩田という場所から萩桂を七木田というところに運び、七仏薬師をつくり、そのうちの1体がこの薬師如来と伝わる。


拝観の環境
徳楽寺に伝わる古仏は本堂に向かって左斜め後ろにある薬師堂に安置されていたが、現在はその左側に収蔵庫がつくられ、移されている。庫内奥の壇上に安置されており、よく拝観することができた。


仏像の印象
薬師如来像は像高120センチ余りの坐像。一木造。
手と膝前は失われている。螺髪も傷んでいるが、もともとは小さな粒がよく揃っていたのだろう。肉髻はやや小さめだがよく盛り上がる。
顔は左右が非対称で、鼻は正中をずれ、左半面が小さいように思われる。額や顎は小さい。鼻梁は太く、口は小さめ。このように書くと歪んで整わない顔のように感じるかもしれないが、実際には落ち着いた品のあるお顔である。伏し目がちで、穏やかな表情が魅力的である。
首は短く、彫られている線(三道)の間隔は狭い。上半身は大きく、堂々としているが、厚みは少なく、これはもとの材の制約によるものかもしれない。
右肩にかかる布の線は大胆で、素朴な力強さがある。

薬師如来像の向かって右に立つ菩薩形の立像は、薬師如来の脇侍として日光菩薩像と呼ばれている。像高は120センチ余り。
薬師如来同様に鼻が力強くつくられているが穏やかな顔立ち。首は短く、上半身が大きい。まげは低く、小さな頭飾と思われるものが前面に付いている。下半身の衣のひだは素朴につくられる。


その他の仏像について
薬師如来像、脇侍像の他には、天王像2体、また傷みが進んで目鼻立ちが判然としない状態となった神将像や神像と思われる像も安置されている。
天王像は像高130センチ余りで、片手を上げ、もう一方を下ろす。顔は怒っているというよりも笑っているようで、お腹はたるみ、微笑ましい。かつてこの地域に生きた人たちをモデルとしたのではないかなどと想像すると楽しい。


さらに知りたい時は…
『九戸郡軽米町 醫王山徳楽寺薬師堂の絵馬』、佐々木勝宏、旧八戸領の文化財を保護伝承する会、2024年
「ほっとけない仏たち94 徳楽寺の薬師如来(軽米町)」(『目の眼』565)、青木淳、2023年10月
『地方仏を歩く3 東北関東中部編』、丸山尚一、日本放送出版協会、2004年
『図説 久慈・二戸・九戸の歴史 (岩手県の歴史シリーズ)』、郷土出版社、2004年
『二戸市史1(先史・古代・中世)』、二戸市史編さん委員会、2000年
『みちのく古寺』、河北新報社編集局、河北新報社、1987年
『軽米町誌』、軽米町、1975年


仏像探訪記/岩手県

薬師堂と左端に白く見えているのが収蔵庫
薬師堂と左端に白く見えているのが収蔵庫