真蔵院の七社権現像
岩殿山の岩窟に安置されていたと伝える
住所
大月市賑岡町岩殿160
訪問日
2025年10月11日
この仏像の姿は(外部リンク)
大月市観光協会・木造七社権現立像
拝観までの道
大月駅から東北に徒歩約25分、または1つ東側の猿橋駅から西北に徒歩約25分。どちらも同じくらいだが、大月駅からの方が長い上り坂が続く。
大月駅前にはタクシー乗り場があるが、時間によっては出払っている。バスだと大月駅から富士急バス(日影行き)で「岩殿」下車だが、本数は少ない。
七社権現像は境内の収蔵庫に安置され、拝観は事前連絡必要。
拝観料
志納
お寺や像のいわれなど
真蔵院は真言宗寺院。大月駅の北東にある岩殿山(いわどのさん)の東麓にある。
岩殿山は600メートル級の低山で、駅から直接行けるハイキングコースであり、富士山の眺望が素晴らしく、戦国時代の城跡もあり、人気らしい。この山には昔、円通寺という天台宗系の修験の道場があり、東の麓から山腹にかけて堂塔が建ち、山全体が修行の場となっていたという。
しかし、その歴史は未解明の部分が大きい。行基草創という伝えはともかくとしても、平安時代の10世紀には存在したといわれる。尾根上に観音堂、三重塔、山腹に七社権現社や新宮があったらしい。1399年から1401年にかけて円通寺僧の勧進によって摺本の大般若経がつくられて奉納されている(現在は真蔵院で保管)。時代によって盛衰の波もあったらしい。
近世には常楽院・大坊が円通寺の別当として管理運営を行っていたようだが、近代初期の廃仏の時期にみな廃寺となってしまった。
真蔵院はその起源が常楽院の内庵であったといい、円通寺、常楽院関連の貴重な宗教遺産を受け継いでいる。中でも七社権現像7体は中世の大型の神像彫刻群として注目される。
七社権現像は、もと岩殿山の岩窟内にまつられていたと伝えられる。いずれも立像で一木造。各像は箱根権現、伊豆権現、日光権現、蔵王権現、白山権現、山王権現、熊野権現と呼ばれているが、本来の像名であるかどうかは不詳。
拝観の環境
扉口からの拝観。像までの距離はそれほどなく、よく拝観できる。
最も大きな伝蔵王権現像を真ん中に左右に3体ずつ、収蔵庫の奥の壁面に行儀よく並んでいる。かつては山の岩穴に置かれ、のちには廃仏という困難な時期もあったが、今この耐火の建物に7体揃って安住の地を得たのだと思うと感慨深い。
神像の印象
おそらく室町時代ごろの作と思われる。
樹種は、向かって1番左に立つ伝熊野権現像のみハリギリで、他はヒノキという。内ぐりはない。もとは彩色があったのだろうが、現在はほとんど落ちている。
像高は、最も大きな伝蔵王権現像で2メートル弱。最小は伝箱根権現像で140センチ弱である。
向かって1番右の伝箱根権現像は頭をまるめた僧の姿、右から2番目の伝伊豆権現像は袈裟を着ける。他の像は大きな冠をかぶり、かつて貴族階級で用いられていたような服装で、手は胸前で合わせる。今は持っていないが、本来は笏を構えていたと思われる。冠は段をつけ、衣も肩の下あたりでくぼませ、胸や腹を少し膨らませる。足は大きくつくり、安定感を出す。顔つきは、目はつり上げ気味にして鼻を大きく、誇張的にあらわして人を超えた存在として表情を作っているが、神さまごとに少しずつ個性を出し、親しみやすさ、昂然とした表情、また少しさびしそうに感じられる像もある。魅力的な群像と思う。
その他
収蔵庫内向かって右側には、円通院の旧仏と伝えられる十一面観音像が置かれている。
さらに知りたい時は…
『山梨県史 文化財編』、山梨県、1999年
『岩殿山の総合研究』、岩殿山総合学術調査会、大月市教育委員会、1998年
『大月市史 通史篇』、大月市史編纂委員会、1978年
→ 仏像探訪記/山梨県
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