甲斐善光寺宝物館の源頼朝像

  もと信濃善光寺に伝わった頼朝の肖像

住所

甲府市善光寺3-36-1

 

 

訪問日

2008年10月4日、 2022年6月5日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

甲斐善光寺ホームページ

 

 

 

拝観までの道

甲府から身延線で2駅行くと、善光寺という名前の駅がある。

駅の出口に善光寺への案内板がある。駅から北北東の方向へ徒歩10分くらいで着く。中央本線の酒折駅(甲府の隣の駅)からも歩ける距離である。

 

立派な仁王門をくぐると、正面が本堂。独特のつくりは、信濃の善光寺本堂と同じである。かつては信濃善光寺と同じくらいの規模であったが、江戸中期の火災で焼失。現在の本堂はやや縮小されて再建されたものだが、それでも東日本で最大級の木造建築だそうだ。

本堂の向って左にたつ宝物館には、16世紀に甲斐を治めた武田信玄や浅野長政によって移された仏像や肖像彫刻などが多く並ぶ。

 

 

拝観料

本堂と宝物館共通で500円

 

 

お寺のいわれ

善光寺を名乗る寺は全国にあるが、中でも名高いのがこの甲府の善光寺(甲斐善光寺)である。

この寺は、信濃に勢力を伸ばして上杉氏と争っていた武田信玄が、信濃の善光寺の仏像や僧、宝物を甲斐に移したことにはじまる。

 

本尊は、もと信濃善光寺の本尊の前立ち像だそうだ。信濃善光寺の本尊は「絶対秘仏」の阿弥陀三尊像だが、それを鎌倉時代に大きなサイズで写した像(中尊の像高は約140センチ)で、武田信玄によってここに移され、秘仏として本堂厨子中に安置されている。中尊の右足のほぞに鎌倉初期の1195年の年が刻まれていて、全国に分布する銅造善光寺式阿弥陀三尊像では最古、最大の像である。

7年(足かけ7年なので、実際には6年ごと)に一度ご開帳がある。前回は2021年のところ、感染症流行のために1年ずらし、2022年に行われた。

 

六善光寺同時御開帳

 

 

拝観の環境

宝物館は明るく見やすい。ただし、ガラス越しの拝観となる。

 

 

像の印象

宝物館には数体の肖像彫刻が安置される。その多くは信濃善光寺から武田信玄が移入してものである。なかでも最も有名なのは、源頼朝坐像である。

像高は約95センチとなかなか大ぶりで、袖が左右に大きく張り出しているので、さらに大きく見える。中世につくられた武将の肖像彫刻の中では、最も大きな像である。

ヒノキの寄木造。

 

像内に銘文がある。読めない部分もあり、なかなか解釈が難しいが、頼朝の命日が記載されている。これにより、頼朝の名前こそないものの、伝え通り頼朝像であることが確かめられている。

この銘文は造立当初のものでなく、2度の火災によって焼亡を免れたのち、修理が完成したことを記したもの(修理銘)であろうと考えられている。もともと信濃善光寺にあった像なので、この2度の大火とは1268年と1313年の善光寺の火事をさすと思われ、従ってこの像の成立は1268年以前となる。頼朝は1199年に亡くなっているので、その死後遅くとも70年以内に制作された像ということになり、頼朝の姿を直接、間接に知って造られた像である可能性がある。頼朝の姿を今日に伝える唯一の像として、大変貴重な作である。

 

初老の男性の顔つきは穏やかで、なんとなく頼朝のイメージとは合わない気がする。玉眼は失われていたが、補われている。見ていると次第に老練な武人の表情に感じられてくる。衣文は細かな襞は刻まないが、大きな襞を大胆に配している。両手も失われているが、本来は笏を持つ形であったのであろう。足先も失われ、やや痛々しい姿だが、注目すべき鎌倉時代の肖像彫刻である(ただし、頭部のみ当初のもので、体は鎌倉後期に修理された際に補われたとする意見もある)。

 

 

宝物館のその他の像

そのほか宝物館には、同じく鎌倉時代作と思われる源実朝像、室町時代と考えられる本田善光夫妻の像、近世作の老婆像で小野小町像と伝えられる珍しい肖像彫刻像などが展示されている。

 

実朝像は頼朝像よりも一回り小さく、約75センチの坐像で、ヒノキの寄木造である。顔は穏やかで、衣も頼朝像に比べ大人しい。京都国立博物館所蔵の『公家列影図』に描かれる実朝像と似た面相であり、伝承通り実朝像であると考えられている。

 

本田夫妻像は烏帽子をかぶる善光(よしみつ)像が像高約90センチ、合掌する夫人像が像高約80センチで、共にヒノキの寄木造である。本田善光は信濃善光寺を開いたとされる伝説上の人物である。

 

宝物館の一番奥、中央には半丈六の阿弥陀三尊像が安置されている。

武田氏滅亡後の安土桃山時代、秀吉によって甲斐国を任された浅野長政が、近隣の寺院から阿弥陀三尊像二組を移入した。かつては本堂内に安置されていたが、現在では、一組を宝物館で展示し、もう一組は収蔵庫に納めて非公開としている。

ともにヒノキの寄木造で、平安末期から鎌倉初期における典型的な定朝様式の仏像である。

 

 

その他(東光寺仏殿の薬師如来像)

甲斐善光寺の西北西600メートルのところに東光寺がある。前身になる寺院があったというが、よくわからない。鎌倉時代から臨済宗寺院となり、武田信玄が再興したという。
室町時代の仏殿(薬師堂)と本堂裏の庭園が有名である。庭園の拝観は300円。仏殿の本尊は鎌倉時代の薬師如来像で、その斜め後ろには十二神将像が安置される。仏殿は本堂までの順路の途中にあり、雨天等でなければ扉が開かれていて、拝観できる。ただし、像までの距離は若干あり、特に後ろに立つ十二神将像はよく見るのは難しい。
薬師如来像は像高約50センチの坐像。寄木造で、材はヒノキという。彫眼。全体に穏やかな雰囲気で近世がとれている。衣のひだは浅く、螺髪の粒は細かくよく揃う。顔立ちにはつらつとした明るさがにじみ出ていて、上半身の肌も張りが感じられる。

 

 

さらに知りたい時は…

『北条氏展』(展覧会図録)、鎌倉国宝館ほか、2022年

「特集 運慶と鎌倉殿の仏師たち」(『芸術新潮』871)、2022年7月

『源頼朝の真像』、黒田日出男、角川選書、2011年

『甲斐善光寺(山梨歴史美術シリーズ3)』、山梨歴史美術研究会、2009年

『大勧進 重源』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2006年

『ものがたり甲斐善光寺』、吉原浩人、戎光祥出版、2003年

『山梨県史 文化財編』、山梨県、1999年

『源頼朝とゆかりの寺社の名宝』(展覧会図録)、神奈川県立歴史博物館、1999年

「甲斐善光寺の肖像彫刻ー源頼朝像など」(『三浦古文化』29)、山田泰弘、1981年

 

 

仏像探訪記/山梨県

東光寺仏殿
東光寺仏殿