瑜伽寺の如来形坐像と十二神将像

山梨の仏像の奥深さを知ることができる像

住所
山梨県笛吹市八代町永井1543


訪問日 
2022年6月5日


この仏像の姿は(外部リンク)
瑜伽寺ホームページ(如来坐像)



拝観までの道
甲府駅前のバスターミナルより山梨交通バス御所循環に乗車し、「永井」または「御所農協」で下車、徒歩約3分。
拝観には事前連絡必要。


拝観料
志納


お寺や仏像のいわれなど
江戸時代後期の史料によれば、瑜伽寺は奈良時代前期に薬師如来を本尊として創建されたという。そのことを裏付けるものとして、お寺には奈良時代と考えられる塑像断片が伝わっている(この塑像断片の大半は、現在は東京国立博物館に寄託)。
かつては真言宗だったが、14世紀末に中興され、以後臨済宗寺院として現在に至っている。


拝観の環境
お寺の門からまっすぐ進むと正面が薬師堂である。如来形坐像は薬師堂に向かって左手にある収蔵庫内に安置されている。十二神将像は薬師堂内に安置されている。
どちらも堂内でよく拝観させていただけた。


如来形坐像の印象
像高は約85センチの坐像。一木造で材はヒノキという。目は、のちの改変で玉眼が入っていたが、近年の修理で彫眼のように直された。
全身にかなりいたみが進み、後補部分も多いと思われる。しかし、ゆったりとした座り姿にもかかわらず、何ともいえない力強さがあり、圧倒される。
顔は丸く、肉髻は大きい。つけていた螺髪はすっかり失われているが、もし大粒の螺髪がびっしりとついていたら、さらに迫力が感じられただろう。口は小さく、かわいらしい。
肩幅を大きくとり、怒り肩、体はやや反り気味にしている。手は右手を胸のあたりにあげ、左手は膝の上でひろげている。足は左を上にして組む。
衣のひだは細かく、荒々しさが感じられて、とても力強い。

如来形坐像として文化財指定されているが、かつては大日如来像として伝来したという。地元では「だいにっちゃん」と呼ばれて親しまれ、かつてあった大日堂本尊という。しかし、姿は大日如来のものでなく、一般の如来形である。
もともとの本尊、塑像の薬師如来像の後身としてつくられた像である可能性も考えられる。


十二神将像について
薬師堂内には、中央に厨子がおかれ、その左右に十二神将像が6体ずつ安置されている。鎌倉時代の像と考えられており、材はヒノキで、構造は寄木造のものと割矧ぎ造のものが混ざる。像高はおおよそ85センチ。
10年ほど前に修復がされて、後補の彩色が取り除かれた。持物は失われているが、頭光はつけている。一部腕が失われている像もある。頭頂部は十二支の標識をいただかないが、つけられていたあとがあるらしい。
やや腰高で、細身の像である。体勢や表情などは誇張を避けて、むしろ控えめといえるが、体勢にはキレがある。髪、襟元、口の開け方、姿勢、鎧の意匠や裾の様子など、一体ごとにしっかりと特徴があり、全体としてのまとまりもある。
姿勢や意匠からは、古代の造形につながる要素や、逆に新感覚の表現がみられるという。顔つきや体勢から、県内の放光寺の仁王像との共通点を指摘する意見もある。


さらに知りたい時は…
「ほっとけない仏たち30 瑜伽寺の薬師如来」(『目の眼』501)、青木淳、2018年6月

『祈りのかたち 甲斐の信仰』(展覧会図録)、山梨県立博物館、2006年
「山梨・瑜伽寺十二神将像について」(『仏教芸術』253)、鈴木麻里子、 2000年11月

「山梨・放光寺仁王像について」(『仏教芸術』245)、鈴木麻里子、1999年7月
『山梨県史 文化財編』、山梨県、1999年


仏像探訪記/山梨県