山神社の如来坐像

年2回の開帳

住所
真室川町内町22


訪問日 
2016年5月8日

 


この仏像の姿は(外部リンク)
真室川町・銅造如来倚像

 


拝観までの道
山形県の北部、秋田との県境の真室川町に古代の金銅仏が伝えられている。
山形新幹線の終点、新庄駅で奥羽本線に乗り換えて2つめの羽前豊里駅で下車。北へ10分くらい。線路の東側の道を進むと、右手に「薬師堂」と書いた表示が出てくるので、その小道に入ると鳥居があり、階段を上がると薬師堂と収蔵庫がある。
秘仏で、毎年5月8日と8月15日の午前に開帳されている。

問い合わせ先は真室川町役場教育課。


拝観料
特に拝観料等の設定はなかった。


お寺や仏像のいわれなど
如来坐像は薬師堂の本尊だが、普段はその向かって左側にある収蔵庫に厨子におさまって安置されている。開帳の日には薬師堂に移されて、拝観できる。
近くにある山(さん)神社に属しているそうで、8月の開帳の際には神社の神主さんがいらして祝詞をあげるというが、古くより集落で守り伝えてきた仏像という。

戦国時代、この地は鮭延(さけのべ)氏が支配していた。鮭延氏はもと佐々木氏といい、近江源氏の流れを汲んでおり、この仏像の近江からもたらされたのではないかと考えられている。


拝観の環境
間近で拝観させていただくことができた。


仏像の印象
古代の金銅仏で、倚座の坐像である。総高で約55センチ。肌はきわめて滑らかであり、ろう型の鋳造によってつくられたとわかる。

額を小さく、目は切れ長に、鼻の下・口・顎はしっかりとつくって、印象深い顔立ちである。目の下から口もとにかけてのほおのラインは美しく、奈良・薬師寺の本尊を思わせる。
上半身は大きく、右肩に乗せた衣は右肘にかけて大きく体を覆っているのが特徴的である。胸から腹にかけて下着や結んだヒモを見せている。
衣のひだはしっかりと深く刻み、枝分かれをつくったりして、変化に富んでいる。
足を少し開き、両足を少し前に出して、安定感のある座り姿勢である。

衣の豊かな模様や鋳造の高度な技術から奈良時代に入っての作と思われる。


その他
鮭延城の城主として鮭延姓を名乗った貞綱の子秀綱は、一時は最上氏の重臣として活躍する。しかし江戸時代前期に最上氏が改易となると、秀綱は老中の土井利勝に預けられ、のちにその家臣となった。土井氏が下総・古河に転封となったため、それに従い、古河で生涯を終えた。古河に菩提寺があるという(鮭延寺)。
そうした縁で、真室川町と古河市は姉妹都市となっている。
古河市はこれとは別に栃木県さくら市、福井県大野市との間で姉妹都市となっている。2015年に古河歴史博物館で、古河市、さくら市、大野市、真室川町の3市1町の文化財を集めた展覧会が行われた際には、本像も出陳された。


さらに知りたい時は…

「仏像のアーケオロジー」(季刊考古学・別冊33『美術史と考古学』)、長岡龍作、2021年

『さくら・真室川・大野 : 歴史と文化で結ばれたまち』(展覧会図録)、古河歴史博物館、2015年
『別冊太陽 みちのくの仏像』、平凡社、2012年10月
『月刊 文化財』285、1987年6月


仏像探訪記/山形県