日石寺の磨崖五尊像

  「大岩不動」

住所

上市町大岩163

 

 

訪問日 

2009年4月19日 

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

真言密宗大本山 大岩山日石寺

 

 

 

拝観までの道

日石寺へは富山地方鉄道の上市駅から上市町営バス(コミュニティバス)大岩行きで約20分、終点下車。そこから「百段坂」をのぼってゆくと、左側に山門がある。

 

上市町・町営バス

 

バスの本数は1日数本。ほかに、毎月1日、27日と毎日曜日に護摩祈祷があり、それにあわせて上市駅から10時30分に乗合タクシーが出る。

 

本尊の大岩不動は、本堂の奥の凝灰岩に刻まれた巨大な磨崖石仏である。境内には滝もあり、修行場としてよく知られる寺であるが、特別な制限などはなく、拝観できる。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺や仏像のいわれ

寺伝によると奈良時代、行基によって彫られたという。往古より大岩や山岳への信仰から開かれた霊場だったようで、かつては多くの社坊をともなった修験の道場であった。

本堂は巨石の前面を取り込むようにして建てられているが、像の上方には穴が彫られ、古くから庇、あるいは覆堂の形でお堂をつくり保護してきたことがうかがえる。14世紀にはお堂が大風で倒壊、また16世紀には上杉氏の侵攻の際に焼かれ、さらに1967年にも火災で焼けている。しかしそうした被災にもかかわらず、保存状態はかなりよい。中尊に向って左側の童子と僧形像は損傷を受けているが、これは上杉軍の兵火によるものという。

 

現在の本堂は、1968年の文化財保存施設事業として再建された耐火建築のお堂である。

久野健氏『仏像の旅』には「こちらの信者の方はみな、大岩の不動さんは生きているとおります」という県の教育委員会の方の言葉が紹介されている。現代にいたるまで厚い信仰の中にあるお寺である。

 

 

拝観の環境

前記『仏像の旅』の記述では本堂内は暗く、本尊はお灯明の光に浮き出ていたとあるが、これは焼失前の旧本堂でのことと思われる。

現在は下から照明が当たって、たいへんよく拝観ができる。

 

 

仏像の印象

大岩不動の別名通り、像は山腹の巨石側面に浮き彫りに刻まれている。

中央に不動明王坐像、その両脇に阿弥陀如来坐像と僧形坐像、そして左右の端に二童子が立つ。不動と童子の三尊像がまずつくられ、阿弥陀と僧形像はサイズも小さく、間のスペースを用いて追刻されたものと思われる。彫刻されている岩の面は垂直でなく、のしかかってくるように傾いていて、そのため像に迫力が増している。

 

中尊の不動明王像は像高約3メートル半、二童子は2メートル強、阿弥陀と僧形像は約1メートルである。

中尊は両目を見開き、上の歯で下唇を噛み、頭頂には蓮華を載せる、空海がもたらした不動明王の姿を継承するものである。頭部や上半身を大きくあらわし、腰はしぼってメリハリをつける。大きな鼻、太い眉や強く張った頬は像にさらなる迫力を与えている。

剣をとる右手は肘を大きく張り出し力強い。左手は肩の前で索を握るが、浮き彫りでこれをあらわすのは難しかったのか、やや形が分かりにくい。下半身は、前に置かれた供物のためにやや見にくい。

 

向って一番右がこんがら童子である。小太りで、直立、合掌する。素朴な田舎人のような表情で、中尊を慕うようにわずかに顔をそちらに向けているところや、左右に開いた足の表情などなかなかかわいく、ユーモラスである。布を首の下で結んでいる様子も巧みに表現されている。

向って左端のせいたか童子はこれと対照的にスリムで、体を弓なりに曲げる。こちらもなかなか面白い姿だが、残念なことに傷みが進んでいる。

造像年代は不動三尊は平安時代中期から後期、阿弥陀像と僧形像はそれより少しあとの追刻と考えられている。

 

 

その他

立山神の本地仏は阿弥陀如来であるとされる。この地域が立山信仰の修験者の活躍の場であったことを考えると、中尊とこんがら童子の間の阿弥陀像は立山神の本地仏として造像されたと思われる。

中尊の向って左側の僧形像は、行基像であるという伝えもあるが、立山神の姿である可能性がある。また、慈興上人(立山を開いたとされる佐伯有頼)の像、あるいは慈興を導いた慈朝上人の像であるとの説もある。

 

 

さらに知りたい時は…

『日本美術全集』4、小学館、2014年

『解説版 新指定重要文化財3 彫刻』、毎日新聞社、1981年

『富山県史 通史編Ⅰ』、富山県、1976年

「大岩日岩寺磨崖仏」(『MUSEUM』298)、田中義恭、1976年1月

『仏像の旅』、久野健、芸艸堂、1975年

 

 

仏像探訪記/富山県