給分浜(後山)観音堂の十一面観音像

  海から流れ着いたという伝承をもつ仏像

住所

石巻市給分浜後山14-1

 

 

訪問日 

2008年7月20日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

宮城県公式ウェブサイト・指定文化財

 

 

 

拝観までの道

宮城県北東部にあって、太平洋の突き出した牡鹿半島。その南端に近い給分(きゅうぶん)浜というところに観音堂が建っている(給分浜観音堂または後山観音堂)。

JRの石巻駅前からミヤコーバス鮎川線で約1時間15分、バス停「給分」で下車し、徒歩8分くらいである。バスの本数は2時間に1本程度。ミヤコーバス(宮城交通の子会社)の時刻表は石巻営業所(電話0225-23-5077)で確認のこと。

バス停からは、バスの進行方向に数十メートル行くと信号があるが、そこに案内板(「70メートル先を右折」)が出ている。その先にも案内があって、分かりやすい。

 

ここはかつて後山寺(こうざんじ)または持福院(じふくいん)というお寺であったが、現在は無住となり、江戸中期の持福院観音堂というお堂とその背後の収蔵庫に安置されている十一面観音像は、近隣の陽山寺というお寺が管理している。

問い合わせは石巻市教育委員会生涯学習課へ。

 

 

拝観料

志納

 

 

仏像のいわれなど

十一面観音立像は像高3メートル近い巨像である。

伝承によれば、陸奥の安倍氏が京都より名工を呼び寄せて作らせたが、平安中期の前九年の役で安倍氏が滅亡する際に兵火を逃れて海に流され、仙台湾(石巻湾)の田代島に流れ着いたが、後難を怖れた島民によって再び流され、対岸である牡鹿半島のこの場所に流れ着いたのだという。

実際は中世の仏像であるので時代は合わない話だが、海から流れ着いたという伝承をもつ仏像は各地にあり、興味を引く。

左手は錫杖をもっていたようで(ただし現状は改変されているらしく、杖を持つにしては角度が合わない)、長谷寺式観音なのかもしれない(ちなみに、大和長谷寺の十一面観音像は流れ着いた神木から彫りだされたという伝承がある)。

 

かつては持福院観音堂にまつられていたそうだが、小さなお堂なので、よくこれだけの大きさの像がおさまっていたと思うが、お堂の床の下から立っていたとのこと。このエピソードも、大和長谷寺の十一面観音が堂の下の巨石の上に直接立っていることを思い起こさせる。

 

 

拝観の環境

収蔵庫の中まで入れていただけるので、近くから拝観することができた。

照明もつけてくださるので、とてもよく拝観できるが、もしかしたら明るさのためにやや表情が硬く見えているということもあるかもしれない。

 

 

仏像の印象

とにかく堂々とした像である。顔は特に大きく、やや下ぶくれで、威厳と優しさを兼ね備える。洗練されていない、地方仏の魅力がある。下半身の裳や腰布の折り返しが賑やかで、襞が自由闊達に刻まれているところはいかにも鎌倉時代後期らしい雰囲気である。下半身はややつまっていて伸びやかでない印象である。

後補や補修部分もあるようで、ことに頭上の化仏がつく部分は、法具で代用しているということのようだ。

 

カヤの割矧(わりは)ぎ造。基本的に素地を生かしてつくられている。

カヤの北限は関東地方北部だそうで、この地域では自生しない。良材を取り寄せたものか、または別の地域からいずれかの時代に移されたものか。

 

 

さらに知りたい時は…

『みちのくの仏像』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2015年

『祈りのかたち 東北地方の仏像』(展覧会図録)、東北歴史博物館、1999年

『仏像集成』1、久野健編、学生社、1989年

『宮城県史』13、宮城県史刊行会、1980年

 

 

仏像探訪記/宮城県