矢田寺本堂の仏像

毎年6月に特別拝観

住所
大和郡山市矢田町3506


訪問日 
2017年6月17日


この仏像の姿は(外部リンク)
大和郡山市・歴史・文化財



拝観までの道
近鉄郡山駅前のバスターミナル(駅おりて東北方向にすぐ)から矢田寺前行き奈良交通バスに乗車し、終点下車。
バスの便数は少ないが、あじさいの時期である6月の時期にはバスが増便される(この期間の土日にはJR法隆寺駅前からもバスが出る)。

下車後、距離こそ短いが、かなり急な参道の坂を登り、門前へと至る。

本堂は、あじさいの季節で賑わう6月に特別拝観が行われる。

矢田寺ホームページ


拝観料
入山料500円+本堂特別拝観500円。


お寺や仏像のいわれなど
矢田寺(やたでら)は正式には金剛山寺(こんごうせんじ)という。
矢田丘陵に位置する山岳寺院。矢田丘陵は平城京の西側にあり、標高200〜300メートルほどのなだらかな山々の連なりであり、その周辺には古寺が多く分布する魅力的な地域である。
矢田寺は南北に長い矢田丘陵の真ん中あたりにあり、開創は白鳳時代という。かつては七堂伽藍をそなえ、また多くの子院を擁していたが、現在は4つの子院からなる。そのうちの大門坊がお寺全体の管理を担当している。
真言宗寺院で、地蔵信仰の寺として有名である。
また、あじさいの名所としても名高く、1万株のあじさいが境内に植えられ、種類も豊富なので、長い期間にわたって楽しめる。

本堂の須弥壇上の大きな厨子の中には3躰の仏像が安置されている。三尊はすべて立像で、中央が地蔵菩薩像、向かって右が十一面観音像、左が吉祥天像である。組み合わせとして、とても珍しいと思う。
十一面観音像は奈良時代後期ごろの造像、地蔵菩薩像は平安時代中期ごろの作であるので、本来の本尊は十一面観音像であり、それが地蔵信仰の高まりがあって、中尊の位置に地蔵菩薩がついたという流れであったのだろうと推測される。

お寺に伝わるところでは、矢田寺を中興した満米(まんべい)上人が地蔵菩薩像をつくり、本尊としたと伝える。満米は平安前期にこのお寺に住んだという伝説的な僧で、小野篁とともに地獄をめぐったという。


拝観の環境
堂内でよく拝観することができた。


仏像の印象1(厨子中安置の三尊)
本堂の厨子中に安置される三尊の仏の中尊の位置に立つのは地蔵菩薩像である。像高は約160センチの一木造で、樹種はキリという。ウロのある大木を用いて彫り上げている。
地蔵菩薩は一般的に左手で宝珠を、右手で錫杖をとることが多いが、本像の右手は何も持たず、胸の前に出しててのひらをこちらに向け、親指と人差し指で丸をつくっている。
大変魅力的な像である。顔、上半身は大きく、厚みも感じさせる。顔の各パーツはすべて大きめで、ことに突き出すようにして厚くあらわされた唇は印象的である。
左肩、右手の下の衣の模様はうねるようで、一方で股間から下肢に至る衣の線は力強くY字型に刻まれる。
ほぼ当初の姿をよくとどめるが、鼻が後補となっているのが惜しい。

次に、十一面観音像は像高約215センチの立像。一木造で樹種はキリらしい。結った髪の一部や条帛は乾漆でつくられている。
奈良時代の古仏を彷彿とさせる美しい仏像である。
顔はやや四角張る。若干釣り上がり気味で細い目、口は鼻に接近し、ほおの肉付きは自然である。個性のある顔立ちだが、総体に落ち着いた穏やかな表情と思う。
上半身は上品な首飾りと肩で天衣が折り畳まれるさまがアクセントとなっているほかは簡素にまとめられ、一方下半身はにぎやかに衣を刻む。ゆったりと衣が足にかかっている様子もよい。

吉祥天像は他の2像よりもずっと遅れ、室町時代につくられたもの。やや大味な雰囲気であることは否めない。
像内に銘文があり、造像年は1563年、宿院仏師源次一門の作と知られる。
面白いのは頭部と体が違う樹種でつくられていることである。頭部は宿院仏師がよく用いるヒノキ。体はマツであるという。マツは矢田寺の裏山にはえているものだそうで、本堂もそのマツを用いて再建されているらしい。あるいは頭部は奈良町の工房でつくり、体は現地の木材を用いて合わせたものであろうか。


仏像の印象2(二天像と後陣の2像)
須弥壇上の厨子の斜め前方左右に二天像が安置されている。
かつては片手を上げ、片手は腰にという姿で、左右相称関係の姿であり、誇張した雰囲気のある中世か近世の作という雰囲気だったが、その一方で古様さも見られ、古像である可能性が指摘されていた。

全体に傷みが進んでいたことから、1994年から5年をかけて修復が行われた。
この際に像内から墨書が、また吽形像の中からは結縁奉加帳が発見され、現在のような姿に改作されたのは1598年とわかった。頭部や手はこのときのものとなっているが、体部は彫り直されている部分もあるものの、基本的には当初のものであることが確認され、造像年代は奈良時代であると確かめられた。
できるかぎり当初の状態に復元するという方針のもとで修理が行われて、面目を一新した。同時期の木彫の天部像としては唐招提寺、大安寺の像があるが、精緻な鎧の意匠はこれらの像に近いものがある。

本尊厨子の真裏に安置されている地蔵菩薩立像は「試みの地蔵尊」ともいわれる。「試み」というのは本尊の地蔵菩薩像をつくるにあたって、それに先立ってつくられたという意味だと思うが、実際にはこちらの像の方が時代は新しい。
像高は約160センチ。顔つきは平面的ながら、眉から上まぶたの起伏など豊かな表情を出している。頭部は大きく、また奥行きもあるが、体は細く、薄い。しかしそれがかえって霊仏のおもむきを出している。

阿弥陀如来坐像は本堂の北西の隅に安置されている。もとは別のお堂に安置されていたものだそうだ。
像高は約140センチ。寄木造。衣の流れは美しく、定朝様の優美さをもつが、顔は若干四角張り、衣の線も大きな波に小さな波をはさむなど、安定感の中に力強さをのぞかせる。


その他
子院の北僧坊、南僧坊にも古仏が伝えられている。
北僧坊の虚空蔵菩薩像は比較的小さな像だが、気迫が感じられる大変魅力的な仏像である。長く奈良国立博物館に寄託されていたが、現在は北僧坊の仏間に安置され、この6月のあじさいの時期、事前の連絡で都合がつく場合は拝観させていただけるようだ。ただし、厨子中の安置で、光はあまり届かない。
南僧坊伝来の毘沙門天像は、残念ながら拝観は受け付けていないとのこと。


さらに知りたい時は…
『古佛(新装版)』、井上正、法蔵館、2013年
『奈良の仏像』、紺野敏文、アスキー新書、2009年
『宿院仏師』(『日本の美術』487)、鈴木喜博、至文堂、2006年11月

「金剛山寺二天像の修理と新知見」(『月刊文化財』476)、神田雅章、2003年5月
『矢田寺の仏像』(展覧会図録)、奈良国立博物館ほか、2001年


仏像探訪記/奈良県