宝山寺、長弓寺の仏像

生駒の名刹に伝わる諸像

宝山寺
宝山寺

住所

生駒市門前町1-1(宝山寺)

生駒市上町4445(長弓寺)

 

 

訪問日 

2019年3月9日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

生駒山寳山寺・境内案内・本堂ご本尊

生駒市デジタルミュージアム・長弓寺十一面観音立像(本尊)

 

 

 

宝山寺について

宝山寺は生駒山の中腹にある真言律宗寺院で、江戸時代前期、湛海(たんかい)律師という方が中興したとされるが、これが事実上の開山である。

交通は近鉄の生駒駅前にあるケーブルカーの鳥居前駅から乗車。1駅、およそ6分で宝山寺駅に到着する。このケーブルカーは1918年、宝山寺の参拝客を主たる乗客として設けられた日本初の営業用ケーブルカーだそうだ。下車後徒歩10分で宝山寺の境内に着く。

また、生駒駅の南口からは参道(表参道)が通じている。ケーブルカーが開通する前は信者の方たちは皆この道を通ったのだろうと思うが、石段のきびしい坂道の道なので、特に行きはケーブルカーの利用がお勧めである。

 

宝山寺の境内ではたくさんのお堂に多くの仏さま、神さまがまつられているが、中心は本堂とその隣りの聖天堂である。聖天堂の本尊の聖天さまは秘仏で、手前に拝殿から拝む。

お寺を開いた湛海は自ら像を彫ることもされたそうで、聖天堂には厨子入りの湛海作の五大明王像があるというが、こちらも秘仏である。

 

 

本堂の不動明王像

本堂の本尊の不動明王像も湛海の作で、お堂の扉口のお賽銭箱のところからお姿を見ることができる。

像高は約85センチの坐像で、いかにも恐ろしげな顔つきだが、全体的には破綻のない安定した座り姿の像である。顔の抑揚や巻き髪、条帛の布の質感など、すばらしい。

湛海は前半生は院達、後半生は清水隆慶という仏師に助作させたとの記録があり、専門仏師との共同作業によってこうしたすばらしい像を生み出したのだろう。

不動明王像の脇には4人の眷属像と俱利迦羅竜剣が本尊を取り巻くように立っているはずなのだが、残念ながら拝観位置からはよくわからない。これらの像は本尊よりやや遅れ、湛海の助作者であった院達が制作したと考えられている。

 

 

長弓寺について

長弓寺へは、近鉄生駒駅からけいはんな線に乗車し、2つめの学研北生駒駅下車。徒歩約15分。駅の西側で県道に入り南へ、交差点「真弓橋東詰」より東に入る。ほかに、北側から長弓寺の墓地の横を抜けて本堂裏に出る細い道もある。

 

創建は奈良時代という。鎌倉時代後期に叡尊が再興し、以来真言律宗の寺院である。

本堂はこの再興時のもので、内外陣を格子戸で仕切る密教本堂の形式。国宝指定を受けている。

 

かつては多くの子院があったというが、現在は薬師院、法華院、円生院、宝光院の4院があり、共同で本堂を管理している。

拝観は事前申し込み必要。

私は薬師院に電話をしてお願いしたのだが、月により別の子院が窓口のこともあるのかもしれない。

拝観料は300円。

 

 

 

本堂の十一面観音像と宝光院の地蔵菩薩像

本堂の本尊は十一面観音像で、像高約120センチの立像。

厨子中に安置され、拝観時、開扉いただけた。しかし堂内にはライトはなく、また距離もあるため、よく見るというのは難しかった。

一木造の古風な像だが、顔つきは目が吊り上がり気味で、実にきりりとして凛々しい。平安後期から鎌倉時代ごろの像である。

 

また、長弓寺宝光院地蔵堂の本尊、地蔵菩薩像は鎌倉時代末期の像である。

お寺の西側の「真弓橋東詰」交差点から来て、寺の門をくぐるとまもなく左手にお堂がある。入口にとりつけられた網ごしの拝観で、像までの距離もあるので、よく見るというのは難しかった。

像高約80センチの立像で、宝珠と錫杖を持つ。顔つきはやや面長で、シャープな印象。衣の流れが自然で、落ち着いた立ち姿の像である。

像内に銘文があり、1315年の作であることと、制作者が康俊とその子康成であることがわかる。2人は運慶の流れを汲み、この時期を代表する仏師で、他の作品としては般若寺の文殊菩薩像などがある。

 

 

さらに知りたい時は…

『月刊文化財』633、2016年6月

『宝光院 聖武天皇勅願行基菩薩開基真弓山長弓寺』、宝光院発行、1991年

 

 

仏像探訪記/奈良県

長弓寺本堂
長弓寺本堂