定林寺、長林寺の諸仏
聖徳太子創建を伝える古寺の仏像

住所
河合町川合614-1(定林寺)
河合町穴闇1084(長林寺)
訪問日
2026年6月20日
この仏像の姿は(外部リンク)
奈良寺社ガイド・定林寺
拝観までの道
河合町は奈良県北西部にある人口1万5000人ほどの町。奈良の市街からは西南方向にある。北は大和川を境とし、そのさらに北が斑鳩町なので、法隆寺とは数キロの距離である。町内には200メートル級の古墳もあり、奈良時代以前から続くという古社、廣瀬神社(廣瀬大社)は「砂かけ祭り」という奇祭で知られる。
聖徳太子開創を伝える古刹、定林寺(じょうりんじ)と長林寺(ちょうりんじ)を拝観するには、町に申し込みが必要(原則3週間前までに拝観申込書をメールかFAXで送付)。
→河合町 定林寺・長林寺の拝観について
申し込みの際、観光ガイドさんの希望ができる。お願いしてみたところ、現地をよくご存知のベテランのガイドさんが担当してくださり、とても良かった。
ガイドをお願いするには諸経費として1000円が必要(1グループにつき)。
拝観料
定林寺は拝観料等の設定なし。長林寺は志納。
定林寺について
定林寺は城山古墳(5世紀末から6世紀初めの前方後円墳で、全長100メートル余り)の北、廣瀬神社の参道からは橋を渡った西側にある。
最寄り駅は近鉄田原本線の佐味田川駅で、東へ徒歩約25分。廣瀬神社の参道の入口に河合町の巡回バス「すな丸号」(月曜日と年末年始休み)の停留所「廣瀬神社」があり、町内にある近鉄線の各駅とをつないでいる。
真言宗寺院。
聖徳太子創建という伝承のある古寺で、廣瀬神社との関係もあった。もとは現在の寺域より南側にあり、多くの伽藍が立ち並んでいたという。今のお堂はかつてのお寺の護摩堂であったらしい。ただし、これらはすべて断片的な情報で、お寺の歴史を全般的にとらえることは難しい。
仏像拝観は堂内近くよりさせていただけた。
定林寺の十一面観音像と地蔵菩薩像
本尊の十一面観音像は平安時代中期ごろの作。像高は約120センチの立像。カヤの一木造で、背ぐりをほどこす。頭上面、手先、足先などは後補だが、中世に修理した時の古いものであるらしい。
眉は高々とは上げないがゆったりと長く伸び、目は見開きを小さく、切れ長でやや釣り上がり気味とする。自然で落ち着いた顔つきである。
細身で撫で肩、下肢がスラリと長く、立ち姿も美しい。お腹はやや丸く出している。
本尊の向かって右に地蔵菩薩像が安置される。像高は約90センチの立像で、材はサクラという。一木造で内ぐりもない古様なつくりである。やはり平安時代中期ごろの作と思われるが十一面観音像よりも古く、河合町に現存する仏像で最古の像と考えられている。
眉を高々と上げ、目を細くし、鼻と口が接近する。どことなく異国的な風貌で、神秘的な雰囲気も感じられる。
ほぼ直立するが、足の動きや衣のひだの左右対称の崩れから、若干腰をひねっているとわかる。上半身に比べて下半身が長くなっている。しかし、不思議と不自然さを感じさせない。
衣の線はやや定型化しているが、なお力強さがある。もものあたりは省略気味にして肉体の豊かさをあらわし、右腕や右の胸で内側の衣が外に出ている部分の衣は繰り返し波が刻まれるといった具合にメリハリがきいている。袈裟は丈が短く、下肢のところはその下の裙が見えていて、足の甲にかかる。
このほか堂内には比較的珍しい平安時代の銅造の阿弥陀如来坐像(小像)や、室町時代作と考えられている厨子入りの不動明王立像が安置されている。
長林寺について
長林寺は近鉄田原本線池部駅下車、北へ徒歩約10分。定林寺から歩くと南西方向に20分くらいである。
黄檗宗寺院。
聖徳太子は生涯に46の寺院を建立したと伝え、その1つがこの寺の源流であるという。実際には聖徳太子の時代まではさかのぼらないようだが、かつては法起寺式の伽藍(法隆寺西院と逆で金堂が西、塔が東)の大きな寺院であったらしい。
文献に長琳寺という名でもあらわれ、また発掘調査で「長倉寺瓦」とヘラ書きされた瓦が見つかっており、長倉寺と呼ばれていた時期があったと考えられる。長林寺のある場所の地名「穴闇(なぐら)」はこの長倉寺から来たものかなどとも言われている。
16世紀初めに兵火にあい、江戸時代に黄檗宗寺院として再興され、表門は江戸時代後期、本堂は江戸時代末期の建物という。また、いにしえの塔礎石が本堂前に置かれている。
本堂本尊は像高約1メートルの十一面観音像。その向かって右側に大小の阿弥陀如来坐像、吉祥天像、そして聖徳太子像が並んでいる。向かって左側には黄檗宗になってからの尊像として韋駄天像、達磨大師像、羅睺羅像が置かれている。
堂内近くよりよく拝観させていただけたが、全体に暗く、厨子中に安置される聖徳太子像は頭の上部などは見えづらい。
長林寺の聖徳太子像
聖徳太子像は像高約70センチの立像。寄木造。玉眼。鎌倉時代後期ごろの作。
上半身裸形で、裳を着け、合掌する。聖徳太子2歳の姿で、「南無仏」と唱えた様子を造形化したものなので、聖徳太子二歳像、また南無仏太子像とも呼ばれる。こうした像は鎌倉時代から作られはじめ、年代がはっきりわかる現存する像としては1292年のものが最古らしい。
長林寺の像は目鼻立ちが整い、姿勢良く、合掌の様子や裳の裾を踏んで立つ姿は子どもらしさと太子らしい聡明さが共によく表現されている。
保存状態はよく、解体修理はされていないが、奈良国立博物館でCTスキャンを受けている。それによると玉眼の押さえのところと合唱する手の中に小さな容器が込められていること、お腹には17巻もの巻物が納められているとわかった。容器の中はおそらく仏舎利であろう。また巻物は軸木などを伴わないので、経典というよりは願文や結縁交名の類である可能性が高い。並々ならぬ信仰の結晶としてつくられた像と推測される。
さらに知りたい時は…
『河合町指定文化財』(『河合町文化財調査報告書』第23集)、河合町教育委員会、2024年
『河合町史』、河合町、1981年
→ 仏像探訪記/奈良県
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