妙観寺の十一面観音像

  6月、7月、8月の各17日に開扉

住所

天理市西井戸堂町

 

 

訪問日 

2011年7月17日

 

 

 

拝観までの道

近鉄天理線の前栽(せんざい)駅で下車。

駅の東側を南北に走る道(県道51号)を南に20〜25分ほど行った右手(西側)にこんもりした木立がある。山辺御懸(坐)神社といい、その境内に妙観寺がある。

 

 

拝観料

300円

 

 

お寺や仏像のいわれなど

神社の中に間借りしているようにして、観音堂と鐘楼があるばかりのお寺である。

寺史についてもほとんど伝わらず、鐘(江戸中期)の銘文に妙観寺の名前が見えるが、これがこの寺の名前が記された数少ない記録であるようだ。

 

十一面観音像は、このお寺が近代初期の廃仏の時期に廃寺になってしまったために、集会場の片隅で保管されていた時期がしばらくあったらしい。

ようやく20世紀に入って日の目を見、像は修理され、お堂も新たに建てられて、以後その本尊としてまつられている。普段は閉じられているが、6月、7月、8月の各17日の夜に法要があり、その日は日中より開扉されて拝観できる。

 

このあたりは井戸堂という地区で、お堂は東井戸堂町、西井戸堂町が共同で管理しているそうだ。

平安中期の『御堂関白記』に、藤原道長が金峯山に詣でるため、奈良の大安寺、井外堂、軽寺(橿原市にあったお寺)の順で宿泊したという記述があり、その「井外堂」が現在の地名の井戸堂で、妙観寺の前身の寺院のことではないかという推測がある。

 

 

拝観の環境

厨子の後ろ側も開かれ、風通しよく、観音さまも涼しげなご開帳であった。

ただし、帳が下がり、前には供え物が置かれて、全身を見るのは難しい。また、下からのライトが当たって、表情がやや分かりにくいが、堂内でじっくりと拝観させていただくことができた。

 

 

仏像の印象

この仏像はかなりユニークなつくられ方をしている。

20世紀前半の修理で明らかになったことなのだが、像内に塑像の心木(おそらく奈良時代のもの)が込められているのである。

本体の像高が約230センチ、その中に約210センチの塑像心木が納まり、それを前後から挟み込むようにして、像がつくられている。鞘仏というべきであろうか。丸く素朴な台座は、もともと心木の仏像の台座であり、鞘仏もこれを共用している。

心木は現在も仏像の中にあるので、見ることはできないが、修理時にとられた写真を見ると、頭部は細く、先端は尖る。首で細くなり、体部、脚部は抽象彫刻のように単純化した形となっている。腕はない。樹種はクスノキだそうだ。

 

本体(鞘仏)もまたクスノキでつくられている。

頭上面、持物、光背は後補。また、手首先や垂下する天衣は20世紀の修理時の新補である。

面長で、目、鼻、口すべてが大きくつくられ、きりりと明るい顔立ち。上半身は大きく、腕は長く、衣の線も、くっきりとして心地よい。

わずかに腰を右にひねっているようだが、下半身はほぼ直立している。中に心木をすっぽりと納めるため、直立に近い形となったのだろうと思われる。

 

全体的には平安後、末期の寄木造の穏やかな仏像の雰囲気をもっている。

上述のように、下半身は前に供え物があったりしてよく見えないのが残念だが、写真で見るとすらりと端正で、衣文も整えられたようすは、像内の心木のありし日の天平仏の姿を反映したものなのかもしれない。

 

 

その他

塑像心木を像内に納める例としては、他に福岡・観世音寺の不空羂索観音立像が知られている。

 

 

さらに知りたい時は…

『仏像に会う』、西山厚、ウェッジ、2020年

「天理の仏像」(『近畿文化』604)、赤川一博、2000年3月

『天理市の仏像』、天理市教育委員会、1981年

『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇』8、中央公論美術出版、1971年

 

 

仏像探訪記/奈良県