光林寺の阿弥陀如来像

快慶晩年の作

住所

川西町保田43

 

 

訪問日 

2015年3月15日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

川西町の文化財

 

 

 

拝観までの道

最寄り駅は近鉄田原本線の池部駅。

駅から東へ1キロほど行くと、高田川に突き当たるので、北へ。やがて高田川は曽我川に合流するのだが、合流地点の少し北側で橋を渡り、今度は南へ細い道を入ると光林寺に着く。駅から30分くらい。

ほかの交通手段としては、法隆寺駅南口にレンタサイクルのお店があるので、そこから自転車で。平坦な地形なので、天気がよければ快適。こぐ速度にもよるが、法隆寺駅から南南東へ20分くらい。

 

拝観は事前連絡必要。

 

 

拝観料

特に拝観料等の設定はなかった。

 

 

お寺や仏像のいわれなど

前身となる寺院が鎌倉時代末期につくられ、安土桃山時代にこの地で再興されたと伝える。

 

本尊は快慶作の阿弥陀如来立像。お寺の草創よりも古い仏像であり、もともとどこの寺にあったものかは不明。

像の足ほぞに法眼快慶の名と承久三年(1221年)の年が書かれている。

快慶は無位時代、法橋を経て法眼となり、それ以上は位を進めることなく1227年ごろに没している。法眼に進んだのは1208年から1210年の間と考えられている。

従って本像は快慶晩年の作品といえる。

 

 

拝観の環境

本堂中央の厨子中に安置され、すぐ前から拝観させていただけた。

厨子は横の扉もあけてくださっていたので、側面もよく拝観できた。

ただ、顔は厨子の影となるため、やや暗い。

 

 

仏像の印象

像高は80センチあまり、髪際からはかると75センチくらいで、快慶作品として多く伝来する3尺の阿弥陀像と比べると若干小さい。ヒノキの割矧ぎ造と思われる。

表面は漆箔。右の手首先および左手の指の一部が後補。また光背と台座も近世のもの。

 

一般に快慶の阿弥陀如来立像は、若い頃の作品は張りがあり、衣もすっきりと仕上げられているが、後半生になるにつれて表情はやや沈鬱さが見られ、衣も若干だが複雑というか、装飾的になっていく。

本像も写真でみるとやや表情が硬く、衣の襞もやや煩瑣に感じられないでもない。

しかし、実際に拝観すると印象は異なる。顔立ちは整い、表情豊かで、体のバランスもよく、衣の線も美しい。非の打ちどころがない仏像であるように感じた。

 

 

その他(富貴寺について)

光林寺の南へ徒歩で数分、わずか100メートルくらいしか離れていないところに富貴寺(ふうきじ)というお寺がある。六県(むつがた)神社という神社の境内に間借りするようにして本堂が建っている。本堂は南北朝時代のもので、品のよい美しいお堂である。

普段無住で、地域の方が管理されている。問い合わせ先は川西町役場。拝観料は300円。

 

私がうかがった3月15日は涅槃会当日であった。12時まえに法要は終わるので、そのころ来たら涅槃図(江戸時代のもの、近年修復し、大変美しい)も見られるよとおっしゃっていただいたので、それをめがけてお訪ねした。

 

本堂内陣には、平安時代後・末期の釈迦如来像と2躰の地蔵菩薩像が安置されている。

釈迦如来像は像高80センチあまりの坐像で、定朝様の仏像である。螺髪は小粒で揃い、額は広く、顎は小さめ。丸顔で、上半身を大きくとる。

ゆったりとした落ち着いた如来像で、親しみを覚える。瀟洒な建物にふさわしい像である。

 

 

さらに知りたい時は…

『快慶』(展覧会図録)、奈良国立博物館ほか、2017年

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』3、中央公論美術出版、2005年

『川西町史 本文編』、川西町史編集委員会、2004年

 

 

仏像探訪記/奈良県