大門所地蔵尊と谷尻地蔵尊
青谷集落に伝わる石棺仏と磨崖仏

住所
柏原市青谷
訪問日
2025年3月26日
この仏像の姿は(外部リンク)
柏原市指定文化財・大門所地蔵尊
柏原市指定文化財・谷尻地蔵尊
青谷集落の石仏
柏原(かしわら)市は大阪府東部に位置し、東は奈良県と接する。奈良県側から行くと、関西本線(大和路線)で王寺駅、三郷駅までが奈良県、次の河内堅上(かわちかたかみ)駅から柏原市に入る。この河内堅上駅が青谷の集落への最寄駅である。
青谷は谷間から丘陵地にかけての高低差が大きな土地に開かれた集落で、地区内の道は複雑でありアップダウンもある。この集落の中に柏原市の文化財に指定されている地蔵菩薩石仏が5体伝わっている。駅の方から順に南地蔵尊、庄上地蔵尊、大門所地蔵尊、谷尻地蔵尊、椀田地蔵尊である。それぞれ小堂や祠にまつられ、保存状態がよい。集落の人々によって大切に守られてきたことがうかがえる。
*柏原市文化財マップ
河内堅上駅の駅前を左(西方向)へ、登り坂の道を500メートルほど行くと、右手に行者堂と書かれた小堂がある。ここを右折し北へ向かう。やがて道は細くなるが構わず進んでいくと、道の左(西側)に小堂があり、南地蔵尊がまつられている。江戸時代前期の石仏だが、お堂には鍵がかけられ、覗けるが中は暗く、よくわからない。
再び北へと向い、突き当たるところまで進む。正面には「青谷」バス停(柏原市のコミュニテイバス)があり、その向こうには池(大池、青谷池とも)、右手には青谷寺がある。ここまで駅から10分ほど。左折すると府道(183号、本堂高井田線)となり、道は太くなる。
50メートルほど西に行くと、左側に鋭角に分かれて谷の方に降りていく道があり、その細道の突き当たりに庄上(しょうがみ)地蔵尊のお堂がある。鎌倉時代末期ごろの像で、頭の上の部分が欠損しているところからか、頭痛に効くとして信仰されているそうだ。しかし、上から顔のところに幕や紐が下がっていて、残念ながらお顔を見ることは難しい。
大門所地蔵尊
「青谷」バス停のところから府道を西へ100メートル余り進むと、道の左側に大門所(だもんじょ)地蔵尊をまつるお堂がある。
本像は石棺仏である。石棺仏とは、出土した古墳の石棺の蓋の部分などを用いて石仏を彫り出したもので、兵庫県南部地方に多いことが知られているが、大阪、奈良でも見られる。有名なところでは奈良県桜井市の金谷石仏があるが、この大門所地蔵尊も石棺仏の優れた作例である。鎌倉時代末期の正和2年(1313年)の年が刻まれているのも貴重である(銘文は見えない)。
高さが180センチくらいの凝灰岩製の石材を用いて、110センチほどの像高の地蔵菩薩像が刻まれている。ほぼ直立し、手はお腹の前で近づけ、左手で宝珠を右手で錫杖をとる。石の硬さ、冷たさは感じられず、とても滑らかで柔らかい印象である。
頭体のバランスがよく、ややなで肩で、衣が柔らかな曲線を描き、左右の腕から下がる衣は優美である。顔立ちは摩滅がやや進んで、わかりにくくなっている。
谷尻地蔵尊
大門所地蔵尊から府道183号をさらに進み、コミュニティバスのバス停「青谷西」を過ぎて道が大きくカーブするあたりの右手に谷尻(たんジリ)地蔵尊のお堂がある。この石仏は磨崖仏で、お堂は崖の面に取り付けられるようにして建てられている。
この像にも銘があり(やはり見えない)、1572年の作とわかる。
本像の魅力は、岩から刻み出されたときにできたノミのあとをそのまま地蔵尊が発する光の線のように残しているところである。素朴だが、豊かな表現と思う。
像の高さは1メートルほど。宝珠と錫杖を持つ通例の地蔵菩薩の姿である。全体に大門所地蔵尊に比べると素朴な表現で、目鼻立ちは形式化しながらも優しい雰囲気である。肩の形や衣の線も素朴だが、腕から下がる衣の流れなど可愛らしい。
さて、谷尻地蔵尊から府道をさらに西へ、坂を下って行くと、やがて信号のある交差点に出る。その東南の角に椀田(わんだ)地蔵尊がある。
40センチほどの大きさで、小さなほこらにおさめられている。江戸時代の作と思われ、像の左右には「右 ほりうじ」、「左 志ぎ山」と彫られている。「法隆寺」「信貴山」のことであろうか。道標も兼ねた石仏というわけだが、前掛けのため文字は見えない。
さらに知りたい時は…
『柏原市史1 文化財編』、柏原市、1969年
→ 仏像探訪記/大阪府
