叡福寺宝蔵の毘沙門天像と伝十一面観音像
土日祝日に開館
住所
太子町太子2146
訪問日
2026年4月26日
この仏像の姿は(外部リンク)
叡福寺の建造物と文化財(木造毘沙門天像・宝蔵)
拝観までの道
叡福寺(えいふくじ)へは、近鉄長野線の喜志駅から4市町村コミバス・金剛ふるさとバス(喜志循環線)、または近鉄南大阪線の上ノ太子駅からたいしのってこバスに乗車し、「聖徳太子御廟前」下車。
宝蔵(宝物館)は、土日祝日に開館する(ただし、1、2月は閉館となるようだ)。
入館料
500円
お寺や仏像のいわれなど
聖徳太子のお墓とされる磯長(しなが)墓があり(現在は宮内庁管理)、聖徳太子信仰の中心地の1つである。「上ノ太子」とも呼ばれている。
金堂本尊は如意輪観音像。
宝蔵は金堂の左手にあり、一山の宝物が集められている。
鑑賞の環境
宝蔵は大小2つの展示室からなり、仏像は大きい方の展示室(入って左手)に置かれている。各時代の仏像が大小合わせて15体以上も並んで、なかなか壮観である。
それぞれ近くより、よく見ることができる。
毘沙門天像と伝十一面観音像
展示室の中央に2体の仏像が背中合わせに安置されている。毘沙門天像と伝十一面観音像で、見上げるようになる上に、顔にはあまりライトが当たらず、若干見づらい。、
毘沙門天像は等身大の像で一木造。戟と宝塔(亡失)を持つ。平安時代中期ごろの作と思われる。
兜を着け、目は丸々と、口はへの字に結ぶ。目鼻口は顔の中央に寄るような印象がある。お腹を丸く出し、腰を左にひねってやや腰高で立つ。なかなか勇壮な像である(兜、手首先、天衣などは後補)。
伝十一面観音像は毘沙門天像よりも一回り小ぶりな立像で、やはり平安時代中期ごろの作と思われる。一木造。
頭上面をつけているが、梵天、帝釈天像などの天部像がまとうような着衣であり、のちの時代に何らかの理由で頭上面を付け、十一面観音として信仰されるようになったものと思われる。
ややクセのある顔立ちで、目は細く、口を小さくつくる。衣は、ひだは省略ぎみとし、前で結ぶ紐が目立っている。
背中側、地付きのところが傷んだようになっているが、これはもともとウロであったものらしい。このような良材とは思えない材をわざわざ用いているのは、それが霊木とされた特別な木であったからなのかもしれない。
ケース内の仏像について
筆者が訪れた時には、壁付きのケース内に小ぶりな二天王立像が置かれていた(展示替えもあるようなので、常に本像が展示されているとは限らない)。
やはり平安時代中期ごろの作で、ヒノキの一木造という。金堂内に安置されていた像らしい。
面奥が深く、重心を低くし、重要感がある。動勢も自然で、なかなか優れた像という印象を受けた。
その他
叡福寺の門から道路を挟んだ正面に隔夜堂という小堂があり、石仏が2体安置されている。うち1体は平安時代から鎌倉時代ごろの定印の如来坐像だが、もう1体の地蔵石仏が前に置かれており、またまわりに下がる布にも遮られて、残念ながらよく見ることは難しい。
さらに知りたい時は…
『叡福寺々寶』、叡福寺、1990年
「上の太子叡福寺の寺宝』(『仏教芸術』119)、田村隆照、1978年8月
→ 仏像探訪記/大阪府
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