法臺寺の他阿真教像

  時宗二祖の肖像

住所

新座市道場1-10-13

 

 

訪問日 

2013年3月2日

 

 

 

拝観までの道

法臺寺(法台寺)へは、西武池袋線ひばりケ丘駅北口より西武バス朝霞台駅行きまたは志木駅南口行きにて「片山小学校」下車、3分。

 

拝観は事前申し込みが必要。お寺のホームページからメールで問い合わせができる。

筆者の場合、拝観をお願いしたい旨、メールにてお送りしたところ、希望の日時、人数、拝観の目的を送付するようにとのご返信をいただいた。

日時は、なるべく平日をということだったが、土曜日でご調整くださった。

目的については、学術的な目的でなく一般的な参拝としてお願いしたい旨、お伝えした。

 

* 法臺寺ホームページ

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺や像のいわれなど

このお寺は当初は時宗、のちに浄土宗となった。

そのはじまりは、この地を訪れた時宗の二祖・他阿真教が念仏の道場を開いたことによるといい、そのためにこのあたりの地名は「道場」という。

創建されてまもない頃よりの寺宝として、他阿真教の肖像彫刻のほか、多数の板碑が伝わっている。板碑は山門を入ってすぐ左側の保存庫の中に納められていて、格子ごしに見学できる。

 

 

拝観の環境

他阿真教像は本堂、本尊に向って右側の間の新造された厨子中に安置されている。

ライトもあり、すぐ前よりよく拝観させていただけた。

 

 

像の印象

 本像は像高80センチほどの坐像。寄木造、玉眼。

他阿真教は一遍の弟子で、その死後、残された信徒をまとめて教壇とした人物で、その意味では実質的に時宗の宗祖ともいえる。

鎌倉時代前期の1237年に生まれ、鎌倉時代後期の1319年に亡くなっている。実は1239年生まれの一遍よりも年長で、40歳頃に一遍に師事した。

他阿真教がこの地に来た時期は不明であるが、一説に1307年から翌年にかけてであるという。像はそれよりも後、彼の死後である南北朝時代ごろの作と考えられている。

 

ゆったりと座って合掌する姿で、小さめの目、下がり眉、額や目尻のしわ、眉間のくぼみなど、写実的にあらわしている。また、袖の衣のひだも自然である。

他のお寺に伝来する他阿真教像に共通することが多いこととして、顔の左右対称が崩れていることがあげられる。これはなんらかの病気のためであろう。

この像でも、左右の目、目の下のくぼみ、ほおから顎、引きつったように見える唇など、左右対称でない。ただし、生々しさを感じるほどでなく、いかにも数百年前の高僧がそこに座っていらっしゃるように思える、すぐれた肖像彫刻である。

像は2011年に修理され、表面の着色はその時のもの。

 

 

その他

本尊は阿弥陀三尊像。中尊は約80センチ、脇侍は約50センチくらいの立像で、脇侍像は腰をかがめて死者を迎え入れる姿で、来迎する三尊像である。室町前期くらいの作とされている。

 

他阿真教像の向って右側に観智国師の肖像が安置されている。

像高約85センチで、寄木造、玉眼。ゆったりと座り、頭部は小さめに、顔を若干下に向けて合掌する。江戸時代の肖像彫刻の中では、すぐれた像である。

観智国師はこのお寺の中興開山とされる。16世紀前半に生まれ、このお寺で得度した。のちに江戸の増上寺の12世を継ぎ、徳川家康の信頼も厚かったという。その関係で法台寺も浄土宗に転じたということらしい。

なお、かつては他阿真教像が観智国師、観智国師像が一遍上人像と伝えられていたらしいが、像の特徴と造像の年代から現在のように像名が改められている。

 

 

さらに知りたい時は…

「法臺寺蔵 木造他阿真教上人坐像」(『国華』1401)、津田徹英、2012年7月

「小田原市蓮台寺の時宗二祖他阿真教寿像について」(『仏教芸術』280)、薄井和男、2005年5月

『新座市史』5、新座市、1987年

『新座古寺の彫刻』、新座市、1981年

 

 

仏像探訪記/埼玉県