薬師寺と高福寺の諸仏

  鎌倉時代の仏像の優品

薬師寺仁王像
薬師寺仁王像

住所

成田市船形219(薬師寺) 

成田市新駒井野1−16(高福寺)

 

 

訪問日 2011年10月30日 

 

 

 

薬師寺への道

薬師寺(船形という場所にあるため、「船形薬師寺」とも称される)は、成田市の西の端、栄町や印西市に接する印旛沼の近くにある。

 

京成本線の公津の杜駅から成田市のコミュニティバス(北須賀ルート)に乗車すると、印旛沼の近くへと運んでくれる(ただし本数は多くない)。

特産品として有名なのか、うなぎを出す料理屋が何軒か見えるが、そこを過ぎ、「印東体育館」で下車。すぐ後ろを振り返ると、薬師寺の仁王門がある。くぐって正面が本堂。

 

 →  成田市コミュニティバス

 

本尊は秘仏の薬師如来像で、仁王門の仁王像とともに県の指定文化財となっている。

仁王像は金網越しに見ることができるが、本尊の拝観は檀家の代表の方と鍵を保管している担当者への事前連絡が必要。志納。

問い合わせ先は成田市の教育委員会生涯学習課。

 

 

薬師寺の薬師如来像について

本尊の薬師如来像は、非常に端正な像である。鎌倉時代の作と思われる。

像高50センチあまりの坐像で、割矧(わりは)ぎ造、玉眼。

 

肉髻はそれほど高くつくらず、小粒の螺髪は整然と並ぶ。

玉眼によって、表情は生き生きとして、ほおや口もとの凹凸も自然である。

なで肩で、上半身はゆったりとつくる。しかし体の厚みや膝の高さ、張りは強調せず、衣文の流れもそつなくまとめている。

唇に朱を入れているほかは、ほぼ素地をあらわし、木の像のもつ力強さや気品が感じられ、小像ながら堂々たる木彫仏の存在感を示す。

 

 

薬師寺の仁王像について

仁王像は像高約170センチ。ほぼ等身大だが、大きく見える像である。

向って右側が阿形像、左が吽形像で、本尊と同じ鎌倉時代の作と考えられている。千葉に残る仁王像の中で、最も古い作のひとつとして注目される。

 

容貌には力強さがある一方、誇張に走らず、安定感ある像となっている。

仁王像の中には異様なまでに腹に力こぶのようにして筋肉を盛り上げているものがあるが、この像はそうした表現を避け、手足もあまり大きくはつくらない。裙の折り返しは比較的大きくとって、風に翻っているが、すそははげしく風になびいたり、こまかく襞をきざんだりせずに、さっぱりと仕上げている。

腕から腋の下にかけてのラインは写実的で、体の動きを適切に表わしている。

 

高福寺本堂
高福寺本堂

高福寺への道

高福寺は成田市東南部にある天台宗の寺で、鎌倉時代の地蔵菩薩像を所蔵する。

 

JR成田駅前から三里塚行きか八日市場行きのJRバスに乗車し、「宮下(みやしも)」下車。バスで来た道を100メートルほど戻り左折、200メートルほど行くと右手に星神社がある。その先を右へ(看板あり)。

この星神社の前には「新駒井野星神社前」という成田市コミュニティバス(遠山ルート)のバス停があり、京成成田駅東口からここまで来ることもできる。

JRバスは日中1時間に1〜2本。コミュニティバスは2〜3時間に1本。

 

拝観は事前申し込み必要。志納。

 

ジェイアールバス関東

 

 

高福寺の地蔵菩薩像 

地蔵菩薩像は客仏で、本堂内、本尊に向って左の間に安置されている。

像高は約90センチの坐像。ヒノキの寄木造、玉眼。

頭部はやや大きく、なで肩、上半身はゆったりとして、足は右足を外して座るいわゆる安坐をしている。出した左の足先が肉厚で、正面から見たとき、とても印象的である。

表面は江戸中期の補修で、顔はそれがまだらになっているために表情が分かりにくい。また手首が両方とも取れてしまっているので、痛々しく感じる。

 

しかし、じっくり見ていくと、すばらしい姿の像であることがわかる。

顔は面長で、額、顎の幅をしっかりととり、鼻や口も引き締まった感じである。誇張せず、安定した顔つきといえる。口もとの凹凸も自然である。

頭は、頭頂部に向っていく曲面がいかにも自然である。頭は少し前屈みにして、面奥を深くとり、ゆったしとした胸も奥行きがある。

下肢の衣のひだも誇張的でない。

 

 

地蔵菩薩像の銘文

本像の像内には、造立時の銘と江戸中期の修理銘がある。

その修理銘によれば、もとはほど近いところにあった真言宗の宝蔵寺(近代初期に廃寺)の仏像であったことが知られる。

 

造像銘には、像の制作にあたった人物として、仏師覚尊、檀越の平行胤の名前がある。

平行胤は、この地域に力を持っていた千葉氏の一族である。

覚尊は、広島県・安国寺の阿弥陀三尊像を1274年につくった仏師である。ただし、千葉と広島の距離を考えると、安国寺とこの高福寺の像の作者が確実に同一人物であると言い切れるかは微妙なところがあるが、作風からは共通点が見いだせるという。

残念ながら制作年は書かれていない。しかし、像の特色から、鎌倉時代の中・後期ごろの作と考えられ、広島の安国寺の像と同じ仏師の作と考えて矛盾はない。

 

 

さらに知りたい時は…

『仏像半島』(展覧会図録)、千葉市美術館、2013年

『ふさの国の文化財総覧』2、千葉県教育庁教育振興部文化財課、2004年

『千葉県の指定文化財』第2集、千葉県教育委員会、1992年

「成田市・高福寺安置の覚尊作地蔵菩薩坐像について」(『Museum』486)、塩澤寛樹・浅見龍介、1991年9月

『成田市史』中世・近世編、成田市史編さん委員会、1986年

 

 

仏像探訪記/千葉県