日光寺の聖観音像

  国分寺の仏像を彷彿とさせる

住所

市原市風戸81

 

 

訪問日 

2008年10月18日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

千葉県教育委員会・市原市の有形文化財

 

 

 

拝観までの道

小湊鉄道の光風台駅下車、駅の西側の道路を越えて田んぼの中の小道を西へ、左手に鶴峯八幡宮を見て、その先の小さな十字路を過ぎると、「風戸聖観音立像」と書かれた看板が見える。そこからさらに西300メートルほど、石段をのぼったところに聖観音像を安置する収蔵庫がある。駅から徒歩20分くらいである。

拝観は市原市教育委員会に問い合わせること。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺や仏像のいわれ

日光寺は寺伝では奈良時代草創というが不詳。

聖観音立像は像高約330センチという大変大きな仏像であり、由緒ある像であろうと思われるが、残念ながらその由来は伝わっていない。

材はサクラで一木造である。背中から大きなくりが入っているが、これは木のウロを利用したものらしい。しかし大きなウロがある木というのは決して良材とはいえない。わざわざそのような木を選んだということは、その木が霊木としての扱いを受けていた古木であった可能性が考えられる。

 

 

拝観の環境

収蔵庫の中まで入れて頂くことができ、間近で、また背面や側面からもよく拝観できる。背面からは脇腹の優美な線が、側面からは胸や腹の量感がよく分かる。

 

 

仏像の印象

もともと難しい材を用いた彫刻であったことも関係しているかもしれないが、全体的に傷みが進んでいる。背板は失われ、背面からは像の内部が見えるが、像の内部には縦に長い木の棒が立てられており、それによってなんとか像の直立を保つという修理が過去に行われたのが見てとれる。顔や腕も傷みが進んでいて痛々しい。足先は後補。

 

顔は大きく、なかなか雄渾である。特に頬に張りがあり、力強い。まげは低めである。ほぼ直立しているが、腰はやや曲げている。

胸と左腕(右腕は傷みが激しく判然としない)にはアクセサリーが彫られている。奈良時代の木彫像の中には飾りを本体と共に彫り出す例があるが、その後の木彫では金属でつくって取り付けるようになるので、この仏像のアクセサリーのつくりははなはだ古様であるといえる。胸飾りは傷みが進んでいるので細部までは肉眼でよくは分からなかったが、腕の飾りは素朴でおおらかである。

一方、腰や太ももはそれほど張らず、衣紋の線も深くないことから、平安時代中期から後期、11世紀ごろの造像と考えられる。

 

 

その他

市原市は上総国分寺がおかれていた。この日光寺の仏像がアクセサリーまで一木から刻み出される古様さを持つことを考えると、当時まだ存続していた国分寺の仏像からの影響を受けての造像である可能性がある。従ってこの像は、今日まったく伝わらない上総国分寺の仏像の姿を偲ぶかすかな手がかりであるということができる。

 

 

さらに知りたい時は…

『日本彫刻史の視座』、紺野敏文、中央公論美術出版、2004年

『指定有形文化財修理報告書ー仏像彫刻編』、市原市教育委員会、1991年

 

 

仏像探訪記/千葉県