上総国分寺の仁王像

  鎌倉時代の阿形像と江戸時代の吽形像

住所

市原市惣社1丁目7-23

 

 

訪問日 

2012年11月25日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

市原市の新指定文化財

 

 

 

拝観までの道

JR内房線五井駅西口から国分寺台または山倉こどもの国行きの小湊バスに乗車し、「国分寺台入口」で下車。南に徒歩5分。または小湊鉄道の上総村上駅から徒歩約20分。

 

小湊バス

 

 

拝観料

仁王門の仁王像(金剛力士像)は、金網越しに拝観自由。

 

 

お寺や仏像のいわれなど

現在の国分寺は、古代の上総国分寺の上に再建されたお寺。江戸中期に勧進によって再興され、真言宗の寺院である。

 

お寺の入口は西側にあり、入ると江戸時代の建物である仁王門、その奥に薬師堂が西面して建っている。

奈良時代創建の国分寺の金堂や塔は、現在の国分寺の建物よりやや南側に、南向きに建ち並んでいた。塔は七重で、現存最大の塔である東寺の五重塔よりもはるかに大きかったらしい。

金堂のすぐ西北に南北方向に長い小さな建物があった。場所からいっておそらく鐘楼かと思われるが、その土台を利用して、今の仁王門は建てられている。

 

他の多くの国分寺同様、上総国分寺も平安時代に入るとまもなく衰退をはじめたとみられる。

鎌倉初期、東大寺復興に力があった頼朝は、諸国の国分寺の再興にも取り組んだようで、この上総国が頼朝の知行国であったこともあり、この時期、上総国分寺もある程度の規模で再興されたらしい。この中世国分寺も鎌倉後期には衰えてしまうのだが、仁王門内に立つ仁王像は、中世に一時的に復活した国分寺の遺品の可能性がある。

 

 

仏像の印象

仁王像は像高2メートルを越える大きさ。向って右側の阿形像は鎌倉時代後期の作で、市内の仁王像としては橘禅寺の仁王像とともに貴重な中世作である。一方、向って左側に立つ吽形像は、江戸時代後期の補作。

 

両像を見て、まず目につくのは、髪の生え際である。

仁王像は髪を頭の上で束ねるのが通例であるので、当然髪があるわけだが、この像のように髪の生え際がくっきりとしている像は珍しい。

全体的には頭と体のバランスがよく、立ち姿は自然である。

忿怒の形相も控えめで、それほどの激しさは感じられない。

 

阿形像と吽形像は実に500年もの隔たりがあるが、寄木の構造はそれほどの違いはないのだそうだ。どうやら吽形像を制作した作者は、阿形像をよく調べて(修理も行ったのかも)、研究したのち、彫刻にあたったらしい。

しかし、仔細に見ていくと両者はずいぶん雰囲気が異なる。

阿形像がどちらかといえば細身なのに対して、吽形像はどっしりと重たい印象である。衣の翻るさまも阿形像の方には鎌倉彫刻らしいキレがある。腹のこぶのような筋肉や、胸の盛り上がりなど、吽形像の方が鈍い感じは否めない。

 

 

その他

このお寺の境内では、月1回、骨董市が開かれている。毎月第4日曜日の開催らしい。筆者が訪れた日はたまたまその日で、骨董屋さんや屋台が出て、賑わいをみせていた。

 

 

さらに知りたい時は…

『発掘いちはらの遺跡』、市原市埋蔵文化財調査センター、市原市教育委員会、2010年

 

 

仏像探訪記/千葉県