温泉寺の波夷羅大将像

薬師如来の眷属十二神将のうちの1体

住所
神戸市北区有馬町1643


訪問日 
2025年7月21日


この仏像の姿は(外部リンク)
有馬温泉・温泉禅寺(黄檗宗)



拝観までの道
神戸電鉄有馬線の終点、有馬温泉駅下車、南へ10分弱。有馬温泉の街を見下ろす高台である愛宕山公園の北側に位置する。
駅からの道は次第に登り坂となり、最後は長い石段を登り、本堂前に出る(横手から石段を使わずに行く道もある)。


拝観料
特に拝観料等の設定はなかった。


お寺や仏像のいわれなど
有馬温泉は古くは7世紀、舒明天皇や孝徳天皇が訪れた記録があり、平安時代にも藤原道長や白河法皇、後白河法皇も訪れたという。
この日本屈指の歴史ある温泉の中心的な寺院が温泉寺で、行基草創を伝える。本尊は薬師如来。中世には、湯屋の経営にもかかわり、また、縁起の絵解きが行われたり、訪れた文化人たちの交流の場でもあったらしい。今日においても有馬温泉の旅館、お土産物屋、カフェなどが並ぶ温泉街を見おろす高台にあり、存在感を表している。
もと真言宗寺院だが、現在は黄檗宗となり、温泉禅寺と称する。

長い歴史の中で洪水、火災、地震による壊滅的ともいえる被害を何度も受けてきたが、その都度復興を果たしてきた。しかし、こうした数々の天災を上回る大打撃であったのが近代初期の廃仏で、このときは廃寺に追い込まれた。その後、もと奥の院であった清涼院が寺名を引き継いで今日に至る。こうした経緯から、古い書物では清涼院として紹介されているものもある。


拝観の環境
お堂の扉口からの拝観で、像まではやや距離があるが、外からの光が入り、まずまずよく見える。一眼鏡のようなものがあればなおよい。


仏像の印象
本尊薬師如来像の左右に十二神将像が6体ずつ立つ。ほとんどが近世の再興像だが、向かって左側手前に安置されている波夷羅(はいら)大将像は古く、中世にさかのぼる。なるほど、顔の表情、体勢、風を受けてなびく衣の様子など、他像と比較してこの像だけキレがあるように感じる。
像高は1メートル強。寄木造で玉眼を入れる。頭髪を逆立て、辰の頭を標識として付けている。ほおをふくらませて、口を少し開ける。右足を半歩出し、体は自然なひねりを入れて、顔は斜め左を向く。颯爽として、魅力的である。

なお、向かって左側の間に、毘沙門天像が安置されている、動きが少なく、上品さのある、平安時代後期ごろの作と思われる。


その他
駅から温泉寺までの間に善福寺(曹洞宗)というお寺の下を通る。この寺院も行基草創を伝える。鎌倉時代後期の上品な聖徳太子像(南無仏太子像、運慶流の流れをくむ仏師、湛幸の作)が伝えられている。神戸市立博物館に寄託されており、残念ながら普段は展示されていない。


さらに知りたい時は…
『寺社縁起の形成と展開』、久下正史、岩田書店、2016年
『新修神戸市史 歴史編2』、新修神戸市編集委員会、2010年
『有馬の名宝 蘇生と遊興の文化』(展覧会図録)、神戸市立博物館、1998年
『神戸の文化財』、神戸市教育委員会ほか、神戸新聞社、1982年


仏像探訪記/兵庫県