文保寺仁王門と大勝院の諸像

勇壮な仁王さま、優美な十一面観音さま

住所
丹波篠山市味間南1097


訪問日 
2025年11月11日


この仏像の姿は(外部リンク)
文保寺・ご参拝のご案内



拝観までの道
文保寺(ぶんぽうじ)は篠山口駅の西、3キロほどのところにある。
最寄りのバス停は神姫バス「西古佐」だが、バスの本数は少ない。行きやすい方法としては、福知山線の篠山口駅東口からのレンタサイクル。こぐスピードにもよるが、20分ほどで着く。ほぼ平坦だが、最後は上り坂になる。
紅葉の名所としても知られ、同じく紅葉で有名な大國寺へは、北へ徒歩15~20分くらい。


拝観料
仁王像の拝観は無料。
入山は、11月の紅葉に関する催し(文保寺・大國寺と少し北にある高蔵寺で「もみじ三山めぐり」が行われる)の際には500円かかる。


お寺や仏像のいわれなど
天台宗寺院。松尾山(しょうびさん)文保寺と号し、600メートル級の松尾山に向かう谷筋にある。北東側がお寺の入り口となり、仁王門(楼門)を入ると南西方向へ境内が長く続き、一番奥に本堂がある。

創建は奈良時代以前で、インドより飛来した法道上人が観音像を自刻しまつったことに始まるという。火災もあって衰退し、本尊も一時行方がわからなくなっていたが、鎌倉時代末期(14世紀前半)の正和・文保年間に再建された。その際比叡山より千手観音像がもたらされて本尊としたが、のちになって元の本尊が戻ってきたために、以後この2尊をともに秘仏本尊としてまつる。

仁王門は南北朝時代の1385年、鎌倉の建長寺の楼門を模してつくられたと伝える。しかし明智光秀の丹波攻めで全山が焼かれた際、門も炎上し、現在の門は16世紀末の再建であるが、安置されている仁王像は南北朝時代の作。

仁王門と本堂の間には3つの子院が並ぶ。北から順に観明院、大勝院、眞知院で、交代で文保寺の事務を担っているそうだ。このうち、大勝院の本尊、十一面観音像は平安時代の美しい仏像である。


仁王像について
山門に立つ仁王像は長く門の再建時の作と考えられていたが、2015年から2018年にかけて解体修理され、阿形像の足のほぞや納入されていた経典の奥書から1378年につくられたことが判明した。約240センチもある2体を門の焼失を前に救い出したというのは驚くべきことである。また、造像にあたった仏師が侍従法眼と弁法橋であること、さらに造像にあたった関係者名も判明し、一躍兵庫県内の仁王像の作例の中でも重要な位置を占めることになった。
材はヒノキ(一部ケヤキ)で、寄木造、玉眼。厳しい表情をして、ふと造りで筋肉隆々たる体躯、腰をひねって立つ姿はいかにも勇壮でる。
ただし、前にはめられたガラス越しの拝観となり、映り込みのためにやや見にくい。


大勝院の十一面観音像
文保寺子院の大勝院の本尊、十一面観音像は像高約85センチの立像。ただし頭頂のまげや仏面は失われ、頭上面は1面のみとなっている。ヒノキの一木造で、平安時代後期ごろの作と考えられる。
スレンダーで美しい観音像である。面長で、額は広く、顎もしっかりとつくられる。眉は美しく弧を描き、目は切れ長とするので、それぞれを延長するならば交わるのはこめかみの奥となるだろう。とても優美である。
ほおは軽く膨らみ、鼻筋は通り、口は上品に閉じる。首は細い。
なで肩とし、左手は胸のあたりに上げて水瓶を取り、右手は下ろしながらこちらへ差し伸べるかのようである。手は華奢につくられ、衣のひだも穏やかに刻まれる。
拝観は事前連絡必要。志納。


さらに知りたい時は…
「文保寺蔵木造金剛力士立像について」(『西山学苑研究紀要』14)、加藤善朗、2019年


仏像探訪記/兵庫県

仁王像(阿形)
仁王像(阿形)