金剛院の執金剛神像・深沙大将像

  快慶前半生の作

住所

舞鶴市鹿原595

 

 

訪問日 

2015年10月10日

 

 

 

拝観までの道

東舞鶴駅からJR小浜線で1つめ、松尾寺駅下車。駅の南側を東西に通る丹後街道(国道27号)を西へ、交差点「金剛院口」で左折。東南方向へ緩い坂道をのぼっていく。駅から徒歩約25分。

または、東舞鶴駅から京都交通バス高浜線に乗車し、「鹿原(かはら)」下車。このバス停は上記の交差点「金剛院口」のすぐ脇にある。そこから東南に10分くらいで金剛院に着く。

 

宝物館拝観は事前連絡必要。

 

 

拝観料

入山料300円+宝物館500円

 

 

お寺や仏像のいわれなど

平安時代初期、空海の弟子の高岳親王によって開かれたと伝わる。院政期に再興。本尊は秘仏の波切不動尊。関西花の寺三番霊場で、訪れる人も多い。

 

宝物館では、阿弥陀如来像、二天像、仁王像、そして執金剛神像と深沙大将像のほか、仏画も拝観できる。

このうち、執金剛神像と深沙大将像は快慶の作。どのような経緯で金剛院にまつられることになったのかは不詳だが、足のほぞにアン阿弥陀仏の署名があり、快慶が法橋や法眼といった称号を受ける前、すなわち1203年以前の作品とわかる。

 

 

拝観の環境

執金剛神像と深沙大将像は宝物館に入って右手に安置されている。

ガラスケースごしによく拝観できる。

 

深沙大将像
深沙大将像

仏像の印象

執金剛神は「金剛杵を執るもの」の意味で、釈迦の守護神としてインドの仏伝図でよく登場する。その起源はギリシア神話のヘラクレスであるという。

これがのちに仏法の守護神として阿吽2形に分れたのが仁王(金剛力士)である。仁王像の作例は非常に多いが、執金剛神像は日本では珍しく、東大寺三月堂の秘仏が有名である。金剛院の執金剛神像は三月堂像とよく似ており、快慶が三月堂の像を学んでつくったものと推測される。

ただし材質は三月堂の像が塑造であるのに対して金剛院の像は寄木造であり、像高も約85センチと小振りにつくられている。また、全体に生硬な印象であることは否めない。若き快慶が試行錯誤をした結果であろうか。

 

一方の深沙大将像も像高約85センチで、執金剛神像とほぼ同じであり、足ほぞの銘も同様で、一具としてつくられたものと考えられる。両像とも左(向かって右)を向き、左手を下げ、左足を前に出す。全体の感じも似通っている。

しかし、よく見ていると、細部の印象はかなり異なっているように思えてくる。深沙大将像の方が体勢が自然であり、生き生きとした雰囲気を持つ。肩の位置、腰のひねり、右のかかとの角度など、見惚れて離れがたい。

 

深沙大将は玄奘三蔵の前に現れ、その旅を助けたという。このことから砂漠などの悪路やさまざまな悪疫から旅人を守る神とされ、また玄奘がもたらした般若経の守護神でもある。

恐ろしい形相、巻き毛、両足はぞれぞれ象の口から出しているという姿である。

ほかにもどくろの胸飾り、腹には人面の飾りをつけるのが通例であるが、これらは残念ながら失われている。

 

ところで、なぜ執金剛神と深沙大将を組み合わせたのだろうか。

高野山金剛峯寺には、四天王像(広目天像に快慶の銘がある。東大寺大仏殿の再興四天王像のひな形ともいわれる)とセットになった執金剛神像と深沙大将像が伝来する。これらをつくらせたのは南都復興の総帥をつとめた重源であり、両像の組み合わせは重源の考えであることがわかる。

しかし、同じ快慶の作であるのだが、金剛峰寺像はキレのある雰囲気であるのに対して、金剛院の像はどちらかというとずんぐりしていて、印象は不思議なほど異なる。

 

 

その他

阿弥陀如来像と二天像は平安時代後期の作で、一具ではないかとされる。

古記録によれば、金剛院は1146年、鳥羽上皇の后である美福門院の御願所となり、阿弥陀堂などが造営されたとあり、その際の本尊とされている。

像高は約170センチの坐像。定朝様を基調としながらも、大きな頭部、豊かで実在感がある体躯が印象的である。

二天像は多聞天像、増長天像と伝え、像高は約160センチ、動きが少なく、品がよい。貴族好みの像といえよう。

 

仁王像は鎌倉時代の作で、像高は180センチ余りと比較的小振りである。動きのある姿を破綻なくまとめあげた優品で、19世紀末の水害で仁王門が流されるまで、門に安置されていたものらしい。

 

 

さらに知りたい時は…

『快慶』(展覧会図録)、奈良国立博物館ほか、2017年

『大勧進重源』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2006年

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』2、中央公論美術出版、2004年

『関西花の寺 第三番霊場 鹿原山慈恩寺金剛院』(お寺発行の冊子)、1993年

 

 

仏像探訪記/京都府