笠置寺の磨崖線刻菩薩像
奈良時代の磨崖仏か

住所
笠置町笠置笠置山29
訪問日
2026年3月30日
拝観までの道
JR関西本線笠置駅を降りると東(東南東)に標高300メートルほどの笠置山が見える。その笠置山の中に笠置寺はある。
駅から南東へ400メートルほど行くと、道が分かれる。1つは府道325号で、北側をぐるりと迂回し、カーブを重ねながら笠置山の駐車場まで登っていく舗装道路。もう1本は自然遊歩道(古道)で、こちらの方が直線距離に近いがその分急坂である。
事前にお寺にメールで問い合わせたところ、府道の方を薦められた。駅からお寺までは徒歩約45分とのこと。
筆者がうかがった時、ちょうど笠置町と東隣の南山城村、さらにその東の三重県伊賀市島ヶ原地区が共同でデマンドタクシー(「村タク」)の実証実験を行なっており、駅から笠置寺まで利用することができた(この実証実験は2026年3月末で終了。今後についてはその時点では未定とのことだった)。
*笠置寺ホームページ
拝観料
500円
お寺や仏像のいわれなど
笠置寺の境内の特に北側は花崗岩の巨岩がそびえる。人々は昔からとてつもないパワーを感じて信仰を寄せてきた。
笠置という地名の由来は次のように伝えられている。7世紀、天智天皇の皇子がこの地で遭難しかけ、命が助かったことを感謝して、岩に仏を彫ることを誓った。その場所の目印として笠を置いて戻ったので、「笠置」となったという。後日、皇子は誓いを守って仏を彫ろうとしたがあまりの険しさに難渋していると、天人が降りてきて助け、巨大な弥勒仏を完成させることができたという。
以来笠置は弥勒信仰の地として信仰を集めるが、他にも役行者、東大寺の良弁や実忠、空海とも関わる伝承があり、また龍神が住むところ、吉野の金峯山と同一視されて「北吉野」と呼ばれたなど、古来よりさまざまな信仰が重なり合う。枕草子にも「寺は」として壷坂の次に笠置の名前が出てくる。
中世に入ると興福寺から貞慶が入寺。現在の寺域の南側にも多くのお堂が設けられるなど栄えた。
鎌倉時代末期には討幕を目指す後醍醐天皇がこの寺に籠って幕府方と戦った(元弘の変)。この時諸堂が焼け落ち、弥勒の大磨崖仏も火を浴びて失われた。岩に彫り凹められた大きな空白が、ありし日の仏の姿の名残りである。
さらに江戸時代から近代の初めにかけて寺は荒廃し、一時は無住であった。その後復興し現在に至る。なお、宗派は真言宗である。
磨崖線刻菩薩像のもとへ
弥勒の大磨崖仏は失われてしまったが、笠置寺にはもう1体大きな磨崖仏がある。寺伝では虚空蔵菩薩像と伝え、刻まれている大岩を「虚空蔵石」と呼んでいるが、尊名には議論があり、磨崖線刻菩薩像と呼ぶことが多い。
拝観受付およびその隣の収蔵庫を過ぎた先に鎮守社があり、順路表示に従って左折。まもなく弥勒の大磨崖仏とその前に建つ正月堂が見えてくる。
弥勒仏は20メートルもの高さの巨岩にほぼ東面して彫られていた。残された痕跡からその大きさには圧倒されるが、目をこらしても残念ながら仏の姿はまったくわからない。
なお、奈良県宇陀市の大野寺の磨崖仏と、京都府当尾の石仏中のみろくの辻磨崖仏は、この大磨崖仏の模刻である。
正月堂の脇に北側へと進む下り坂の道があり、いよいよ巨岩群のもとへと近づいていく。「千手窟」という祈りの場の先に、突然にという感じで磨崖線刻菩薩像が現れる。
拝観の環境
磨崖線刻菩薩像はほぼ南面する。筆者がうかがった日は曇天であったが、晴れていればよりいっそう美しく見えただろう。ただし、午前中は一部木立の影になることもあるらしい。
菩薩像は歩道からとても近い位置にあり、圧倒的な存在感で胸が熱くなる。しかし近いということは、頭部や上半身は仰がないと見ることができないということでもある。像の前は崖なので下がって引きで見ることはできない。
仏像の印象
磨崖線刻菩薩像は、像高4メートル強。総高、すなわち頭光の頂から蓮華座の下の茎の部分まで7メートル近い大きさである。
しかし、大きいがゆえの粗放さのようなものはまったくない。むしろ、とても端正で美しい。宝冠を付け、手は2本、左足を上にして蓮華座上に座す。蓮華はシンプルだが、その下の茎は装飾性豊か。地中か水中から湧き出たような表現と思われる。
顔つき、体つきは上品で、伸ばした手の様子も優美である。像が彫られている岩をよく見ると、手先や両膝が描かれた岩の部分が少し盛り上がっている(前に出ている)。この岩の膨らみを上手に生かして彫ったのかもしれない。
仏像の首は三道、すなわち横に3本線が入るのが普通だが、この像はそれが2本になっている。この線や右耳、また条帛の線など、実に伸びやかに、またくっきりとしている。
本尊の弥勒磨崖仏と異なり、この像については記録が少なく、像名もわからない。お寺では虚空蔵菩薩像と伝え、空海がこの像を前に虚空蔵求聞持法を修したという。しかし、他にも弥勒菩薩像や如意輪観音像なのではないかなどとさまざまに論じられ、結論は出ていない。
制作年代についても奈良時代、平安時代と説が分かれる。
日々太陽光を浴び、雨に当たる環境で、1000年以上もの年月、失われることなく今日へと伝えられたのは奇跡としか言いようがない。
像を拝んで、そこから戻ってもよいが、さらに道は先へとつながっている。実はこの山道はぐるりと一周していて、巨岩の間の狭いところを抜け、岩の上に上がって風景を満喫したりもできる。1周約800メートルで、「修行場」と呼ばれる。アップダウンも激しく、数十分から1時間くらいかかる。
その他
拝観受付のすぐ横の建物が収蔵庫(宝物館)となっている。うっかり通り過ぎてしまいがちなので注意。
小金銅仏の誕生仏(白鳳から奈良時代)などが展示されている。この像は頭部が大きく、胴は極限まで絞り、手はかわいらしく伸ばす。図案化されたような面白さがある。
磨崖線刻菩薩像の顔の拓本も展示されている。下から仰ぎ見た時には分かりにくい目の表情がこの拓本からわかる。意外に目の見開きが大きく、驚きである。
さらに知りたい時は…
『笠置寺激動の1300年 ある山寺の歴史(増補改訂新版)』、小林義亮、ミヤオビパブリッシング、2023年
『聖地 南山城』(展覧会図録)、奈良国立博物館ほか、2023年
「笠置寺と大磨崖仏」(『季刊考古学』156)、岡寺良、2021年7月
「笠置曼荼羅図小論」(『方法としての仏教文化史 ヒト・モノ・イメージの歴史学』、勉誠出版、2010年)、加須屋誠
「笠置寺の創建と弥勒磨崖仏」(『龍谷叢書18 日本古代の宗教と伝承』、勉誠出版、2009年)、八田達男
「あかい奈良が行く古社寺巡礼 京都府相楽郡笠置寺」(『あかい奈良』46)、2009年冬号
「笠置寺磨崖線刻菩薩像の制作時期をめぐって」(『学叢』28)、泉武夫、2006年5月
『笠置町と笠置山その歴史と文化』、笠置町教育委員会、1990年
→ 仏像探訪記/京都府

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