仁和寺の悉達太子像

  春、秋(各2ヶ月弱)に霊宝館公開

住所

京都市右京区御室大内33番地

 

 

訪問日 

2009年11月22日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

仁和寺・文化財・仏像・彫刻

 

 

 

拝観までの道

仁和寺までの行き方は、仁和寺の阿弥陀三尊像の項をご覧ください。

 

仁和寺の宝物館である霊宝館は春と秋に開館。春期は4月1日から5月第4日曜日まで、秋期は10月1日から11月23日まで。

 

 

拝観料

霊宝館500円(御所庭園は800円)

 

 

お寺や仏像のいわれ

仁和寺は9世紀後半の創建。平安時代から鎌倉時代にかけて、高い格式と広大な寺域を誇り繁栄した。応仁の乱によって一時は廃墟と化したが、江戸時代前期にようやく復興をみた。

こうした大火、また荒廃していた時期が長かったにもかかわらず、仁和寺には古代、中世の仏像や宝物が数多く残されていて、霊宝館に納められている。

ここで紹介する悉達(しった)太子像は、仁和寺に伝来した経緯は不詳。

 

 

拝観の環境

筆者が訪問した際には、霊宝館の奥の壁面に阿弥陀三尊像や愛染明王像などと並んで安置され、照明は暗めだが、近くからよく拝観することができた。

ただし、霊宝館の展示は毎回変わるので、公開期間であっても必ず拝観できるとは限らない。

お寺のホームページに「出陳目録」が載るので、それを確認するか、お問い合わせの上お出かになることをお勧めする。

 

 

仏像の印象

像高50センチ余りの坐像。寄木造。玉眼。

左足を前にはずして座るが、ゆったりしているというよりは端正な姿である。顔は若々しい頬の張りを見せ、姿勢よくすわる。衣は自然な質感で、袖がゆるゆると左右に広がり、それが像に安定感をもたらしている。

髪と重ね着した服は異国風で不思議な感じがする。髪はあまりはっきりしないが、左右に分けてこめかみのところで丸く束ねている。聖徳太子像でよくみる「みずら」という少年の髪の束ね方を小さくしたものらしい。

髪と指に後補部分があるらしいが、全体に保存状態はよく、服の色や模様も残っている。

 

像名の悉達(しった)太子とは、釈迦の出家前の名前、すなわちガウタマ・シッダールタの名前に漢字の音をあてたもの。つまり若き日の釈迦の像ということになる。

日本でつくられた釈迦像としては、瞑想していたり説法していたりする如来形がもちろん一番多い。ついで片手をあげた誕生仏、横たわった涅槃像、まれにはやせ細った苦行像、苦行を終えた出山釈迦像、魔物の誘惑に打ち勝って悟りを開いたことをあらわす降魔成道の釈迦像がある。しかし、若者の姿の釈迦像はおそらくこれ1躰があるのみではないだろうか。たいへん珍しい。

手にゆたかな表情があり、我々に語りかけているような姿に見えるが、具体的にどのような場面の姿をあらわしたのかは分からない。

頭頂近くと額に丸印がつけられている。悟りを開いた釈迦如来は、そこに智慧をあらわす肉髻朱や白毫が現れるが、それを予兆するようである。

 

 

銘文の発見

20世紀前半、この像の修理が行われて、像内に月輪(がちりん)が立てられていることと、納入文書があることが知られた。

月輪は木製で、直径7センチほどの円板を20センチほどの柄を通して台座に取り付けて像内に安置してあった。円板には墨書で釈迦如来を意味する種子(梵字1文字)が書かれていたという。像に命を与える装置として納入されたものと思われる。

納入文書には3点で、長文ながら読めない部分や文意不明のところも多いが、この像が悉達太子像であることと、鎌倉時代中期の1252年に仏師院智によってつくられたことがわかる。ただし文書は当初のものでなく、江戸前期の修理時に写されたものと思われる。なお、修理にあたった仏師は忠円(七条仏師傍流)であることも書かれる。

 

作者の院智は、名前から院派仏師であると思われる。他に作品は残らないが、石清水八幡宮の文書に1260年に釈迦像をつくったことが見え、その時法眼という位だったことが知られる。

 

ところで、この納入文書の発見以前、この像は聖徳太子像であろうと考えられていた。髪をみずらに結った若い人物で、寺院でまつられる重要な像といえば、第一に聖徳太子像と考えるのは当然であったろう。1918年にこの像は聖徳太子像として国の指定文化財となった。

その後、1932年から翌年にかけて修理が行われて本当の像名がわかったのだが、それから半世紀以上たった1991年になってようやく国登録の名称が悉達太子に変更された。

 

 

その他

御殿内の霊明殿(歴代住職の位牌をまつる)本尊は、像高わずか10センチあまりの薬師如来坐像である。

もと仁和寺北院本尊。空海請来の薬師檀像が1103年の火災で焼けてしまったため、円勢と長円(定朝から2代めと3代めの仏師)によってつくられた白檀製の像。極めて精巧で美しい像だが、残念ながら非公開。

 

 

さらに知りたい時は…

『仁和寺と御室派のみほとけ』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2018年

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』7、中央公論美術出版、2009年

『続仏像のひみつ』、山本勉、朝日出版社、2008年

『仁和寺大観』、法蔵館、1990年

『仁和寺の名宝』(展覧会図録)、京都国立博物館ほか、1988年

 

 

仏像探訪記/京都市