伊奈冨神社の男神像

  神威を表す激しい忿怒の形相

住所

鈴鹿市稲生西2−24ー20

 

 

訪問日 

2007年8月9日

 

 

この神像の姿は(外部リンク)

三重県教育委員会・みんなで、守ろう!活かそう!文化財・情報データベース

 

 

 

拝観までの道

伊奈冨(いのう)神社は、伊勢鉄道線の鈴鹿サーキット稲生駅下車、西南方向へ徒歩で10分ほど。

拝観は事前の申し込みが必要。ただし、雨天時は不可となる。

 

 

拝観料

志納

 

 

神社のいわれ

サーキット場で有名な三重県北部の鈴鹿市は、伊勢国の国府が置かれるなど古い歴史をもつ。中でも伊奈冨神社は由緒ある古社である。

 

伝承によると、2000年以上前に今の鈴鹿サーキットの場所に神霊が現れ、そのお告げによって崇神天皇が創建したのがこの神社であるという。

六国史のひとつ『日本三代実録』に、9世紀なかばに朝廷から位階(従四位下)を授かる記事があり、少なくとも平安時代前期には存在していたことが明らかである。また、かつての神領の広大さを示す室町時代の地図も伝わっている。

 

 

拝観の環境

男神像は収蔵庫に安置されている。

中まであげていただき、間近に拝観が可能で、像の側面・背面までよく拝観させていただけた。

 

 

神像の印象

男神像は像高は50センチあまり。崇神天皇像と伝えられている。

俗人の姿だが、目と眉は激しくつり上がり、怒りを表現している。着衣のひだは煩雑ではないが、力強く表現されている。手は笏(しゃく)などを持っていたあとがあるが、持ち方が右手で左手を握り込んでいるようにあらわされ、珍しい。

帯を巻き、背面には石帯(バックル)が作り出されている。全身がクスノキの一木造で彫りだされているので、膝の部分は小さく、膝から足が小さく見えている。顔や衣は朱、冠は黒で彩色されている。

 

神像は仏像と異なり、姿の典拠となる経典のようなものはないので、その威厳をどのように表現すべきか、古代の人々の思いが直接伝わってくる造形である。年代は平安前期から中期と思われる。

瞋目(しんもく)という怒りをあらわす仏教の守護神像のような表現を取り、さらに目をつりあげることで、たいへん強い迫力を出している。しかし、、木の性質のためか若干首をかしげているところや、唇の形など親しみも覚える。

頭の様子も特徴的だが、これは布をかぶって頭頂と後ろ側で結ぶ幞頭(ぼくとう)というものをあらわしているそうで、平安時代前期の貴族がよく用いた姿らしい。

 

 

その他

この伊奈冨神社の神宮寺が、すぐ東にある。(神宮寺の諸像の項を参照のこと)

 

 

さらに知りたい時は…

『神像彫刻重要資料集成』3、国書刊行会、2016年

『三重県史 別編 美術工芸』、三重県、2014年

『日本美術全集』4、小学館、2014年

『国宝大神社展』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2013年

『神仏習合』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2007年

『仏像東漸』(展覧会図録)、四日市市立博物館、2003年

『神像の美』(別冊太陽)、平凡社、2004年

『姿をあらわした神々』(展覧会図録)、四日市市立博物館、1994年

「三重県の仏像」4(『三重大学教育学部研究紀要 人文・社会科学』44)、松山鐵夫ほか、1993年

『月刊文化財』334、1991年7月 

『三重の美術風土を探る』(展覧会図録)、三重県立美術館、1986年

 

 

仏像探訪記/三重県