8-9 百花の「なるほど!国宝」メモ

 

京都でお寺めぐりといったら絶対はずせない三十三間堂ですけど、できた当時、そこは平安京の外側だったらしいです。後白河院が構えた御所の仏堂としてつくられたのがそのはじまりで、院につくってさしあげたのは、平清盛なんですって。

三十三間堂は、丈六の千手観音坐像を中尊として、左右にそれぞれ500体ずつ等身の千手観音像がまつられています。これほどの数の像をまつったのは、後白河院の千手観音への篤い信仰がもとになっているとのこと。

鎌倉時代中期、京都で大火が発生し、三十三間堂は全焼してしまいます。後嵯峨上皇が再興に執念を燃やし、15年の歳月をかけて焼失前と同じ規模、内容で再建を果たしました。仏像の再興の中心となったのは、あの有名な仏師運慶の子の湛慶。中尊および千手観音立像のうち9体が湛慶の作。この9体はすべて一番前の列にあるんです。

創建期の千手観音像で、火事の中、救い出された像があります。その数124体。一方、鎌倉時代の再建の際には、湛慶ら慶派仏師とともに、院派仏師、円派仏師も造像に参加して、876体がつくられました。鎌倉時代の像には銘文があるものがあり、それによると3派の中では院派が最も多くの仏像をつくっています。各像は同じに見えて、少しずつ違っています。一人として同じ顔の人がいないのと同じですね。

近代に入ると三十三間堂は荒廃し、仏像も傷みが進んでしまっていたそうです。戦中戦後の厳しい時期でしたが、この修復によって三十三間堂とその仏像は今に伝わることができました。

さらにその後の修復事業が2017年に完了し、国宝に指定されました。現在1001体の千手観音がすべてお堂に戻り、美しい姿で私たちを迎えてくださいます。