8-5 仏像の番号を知って創建仏を探す
百花さん 創建時の千手観音立像(「創建仏」、つくられたときの年号をとって「長寛仏」ともよばれる)の一部は大火の中、救出されたということだけど、その像はえっと…、どこに?
ゆいまくん もちろん、この1001体の中にいるよ。
百花さん どこかにまとまって置かれていたりするの?
ゆいまくん いや、そうじゃない。分散して安置されているんだ。
百花さん この中に満遍なく溶け込んでいるってことね。
ゆいまくん 溶け込んでるって、飲み薬か何か見たいに言わないでよ。
百花さん へへ… そうするとこの仏さまたちは、創建仏と創建仏に合わせてつくられた再興期の像が混ざっているってことね。
助け出された創建期の像は100体余りだっけ。じゃあ、この中の1割から2割が創建仏ということね。それはどれなのか…どうしたらわかるの? そもそも、どの仏像が創建仏で、どの仏像が再興期の像なのか、わかっているの?
ゆいまくん うん。それは調査によって判明しているんだ。
まず、これらの仏像の中には作者名や年などの情報を含んだ銘文を持つものがあるんだ。調査を進めると、銘文は鎌倉期の像だけにあることがわかった * 。逆に、創建仏には銘文のある像はない。問題は、鎌倉期の像のすべてに銘文があるわけではないということだ。
百花さん つまり、創建仏には銘文がない。鎌倉期の像には銘文があるものとないものがあるってことね。
ゆいまくん そういうことだね。
そこでだ。調査にあたった研究者は、銘文のある像を鎌倉期の像として確定した上で、これらを基準作として、銘文のない像を1体ずつ精査し、再興期のものか、それとも創建期のものか1体ずつ見分けるという地道な作業を行ったんだ。
百花さん 数百体の仏像を表現の特徴や構造などについて、細部にわたって調べて分けていったんだね。気が遠くなるような作業だね。
ゆいまくん 千手観音立像1000体をそのようにして調べた結果、124体が創建仏、残る876体が鎌倉時代に再興された時の像だと今ではわかっているんだ **。
当時のことを記した史料『一代要記』によると、火災から助け出されたのは中尊の千手観音坐像の首と左手、千手観音立像のうちの156体および二十八部衆像と書かれている。しかし、救い出されたという中尊の首や左手は残念ながら伝わっていないんだ ***
。たぶん救出されたといっても、傷みがひどく、修復不能だったんだろうね。同様に156体が救い出されたといっても、その中には損傷が激しく再生できなかったものもあったのだろうね。だから、現在に見いだされている124体という数は、記録ともまずまず合致しているといえると思うよ。
百花さん う~む。普通はさ、補うっていったら、ちょっと欠けてしまったから、その部分をあとで付け足すっていうイメージだけど、このお堂の場合は逆っていうか。補った方がずっと多いのよね。もとからの像が…えっと、124体だっけ。それで鎌倉時代に残りの…んーと、876体が補われたのよね。もうそれだったら、いっそ全部新しくしちゃおう、その方がむしろ早いんじゃないかーって考えた人はいなかったのかな。現代だったらそうしちゃうかもね。「スクラップ、アンド~・ビルドっ!」みたいな。でも、昔の人はそうは考えないんだね。
それじゃあさ、創建当初の像はこの中のどれなのかな。教えてよ。
ゆいまくん そうだね。でもその前に、仏像にふられている番号の話をしておくね。
百花さん 番号が…ふられている? どういうこと?
ゆいまくん この1001体の観音立像は番号がついているんだ(戦前の文化財指定調査にともなって付されたもの)。いちばん南側の最上段の像を1号像として、そこから下に向かって2号、3号、段は10段だから、南側最下段が10号像。再び上にあがり、次の最上段像が11号像という順なんだよ。そうすると、北側の一番端最下段の像が1000号像となる。南側から番号がふられているのは、かつては南から入堂していたかららしい。
これだけの千手観音像が並んでいるから、番号によって確認できるようにしておかないと、混乱してしまうこともあるからね。
百花さん 仏さまを番号で呼ぶなんて、なんか味気なーい。てか、ちょっと失礼な気もするけど…
ゆいまくん 仏像は当然信仰の対象だけど、同時に文化財でもあるよね。この番号は、修理の際など、あくまでも文化財として扱う際の識別のためのものなんだ。実際には仏像に番号表示が見えるようについているわけじゃない。でも、この番号のことを知っておくと、話が早いんだ ****。
百花さん ふーん。南側の最前列が10号像か… えっと、南側というのは…
ゆいまくん 現在の拝観順路は北側から入るようになっているから、南はずっと向こうだよ。
北側からだと、最前列向かって右端の像が1000号、その左側が990号、以下980号、970号となるんだ。前から2列めでは、向かって右端が999号、その左が989号、以下979号、969号となっているわけだよ。
百花さん 最前列は末尾が「ゼロ」、前から2列めは末尾が「9」の像ということね。
ゆいまくん 後方の仏像は遠くなるし、前の仏像と重なり合って見えにくいからね、前の2列に限定するけど、その中に創建仏は20体あるんだ。たとえば、下から2段目の1番右に安置されている999号像がそうだし、それから919号、890号、800号、670号…
百花さん ほんっとに分散して置かれているのね。で、どれどれ。919号像を探してみよっと。えっと、末尾「9」は下から2段目。で、910番台だから右から…えっと、9つめの像ね。あ、この方(かた)ね。なるほど、番号で言ってもらうことで、どの像だか探すことが可能になるのね。
ゆいまくん この919号像をはじめとする創建仏は、概してゆったり、おおらかな姿形をしているように思うんだけど、どうかな。
百花さん それは、オリジナルの伸びやかってことかな。そのお隣は鎌倉時代の像なんだね。比べてみると、違いは…うーん、正直よくわからないや。むずっ!
(注)
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銘文は、ほとんどが足の枘(ほぞ、台座に立てるために足の下につくられた突起)にあるが、台座や本体(背面、脇手付け根)に書かれているものもある。内容は、仏師名、仏師名+年月日、実検者名、仏師名+実検者名+年月日、仏師分+実検者名+年月日、仏師分+仏師名、結縁者+仏師名、年だけが書かれるものなど、いくつものパターンがある。実検者というのはたくさんの仏師がかかわっている本事業をとりまとめ、仏像を確認して受領するような係であろう(その銘を実検(撿)銘という)。仏師に「分」とついているものは、その仏師の担当とされたが実作者が別の仏師であったことを示す。なお、これら造像時の銘文がある像は約330体で、作者が判明しているものはそのうちのおよそ6割(「分」とのみ書かれて実作者不明のものは除く)。ほかに修理銘をもつ像も多いが、ここでは触れない。
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調査にあたった美術史家の丸尾彰三郎は、創建期の像と再興時の像の様式や作風に関して、ある程度異なっており、分ける作業は思ったより難事ではなかったと述べる一方で、一千体もの仏像のことなので、相当注意して調査したものの漏れがないとも限らないとして、「この124体は確保数で、或いは数体これより多いことはあり得る」と書いている(『蓮華王院本堂千躰千手観音像修理報告書』)。しかし、丸尾が行った調査結果に対して、その後研究者から異論などは出ていない。創建仏は丸尾が指摘した124体で確定としてよい。
*** 中尊像の頭上面のうちの一面が他と比べても古様を示しているとして、これが『一代要記』にある救い出された中尊の首に相当するのではないかとする意見があるが、定説化するには至っていない。
**** この番号とは別に、お寺側は各像に「第一尊」「尊宿尊」などのお名前をつけている。なお、一部の仏像には、作者を記したプレートが足下に立てられている。