8-1 うたってたたえて千手観音

 

百花さん 今日行くところ、私知ってるよ! 京都の三十三間堂。有名だよね。
 やっぱ、日本の3大有名仏をあげるとしたら、奈良と鎌倉の大仏でしょ、で、この三十三間堂の仏さまたち、あと東大寺南大門の仁王さんってところじゃないかな。

ゆいまくん 3大有名仏っていいながら、4つになっちゃっているみたいだけど…

 で、百花さんは三十三間堂には行ったことがあるの?

百花さん うん、修学旅行でね。よく覚えているよ。
 たしか、1000くらい仏さまがいるんだよね。どどーっとこれでもかってくらいに並んでて、そのうちの1体は自分に似た像があるって、バスのガイドさんが言ってたのを覚えているよ。じゃあ探してみようって思って見ていたんだけど、なんかみんな同じにしか見えなくて、後半は友だちとお土産を何にするかで盛り上がってた…

ゆいまくん (小声で)お寺に来て関係ないことをぺちゃくちゃ話している人たち、迷惑なんだよな… 今日はそういう団体とかちあわないといいけど。

百花さん …しゃべってたのは、ちょっとだけだよ。全体としては、しっかり拝観してました! 本当だよ。あ、信じてないな。
 それより、行き方は? 京都のどのへんにあるのかな。

ゆいまくん 駅前からバスに乗って、東の方に行くんだ。10分くらいで着いちゃうよ。この東西の道は七条通(しちじょうどおり)といってね、あ、今渡ったのが鴨川だよ *。その先、「博物館三十三間堂前」というバス停で下りて、すぐ南側なんだ。北側には京都国立博物館があるんだよ。

百花さん 近いのね。

ゆいまくん ここには昔、後白河院の御所があってね、法住寺殿 **(ほうじゅうじどの)といったんだ。

百花さん 後白河院っていうと、院政をやった人よね。

ゆいまくん 平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した人で、天皇の位にあったのは3年くらいなんだけど、譲位したのち、後白河上皇、出家して後白河法皇となり、その間長く院政を行ったんだ。父の鳥羽院と同じく仏教を篤く敬い、特に千手観音への信仰が深かったんだ。
 そうそう、この方は今様(いまよう)という歌謡にたいそう熱中したことでも知られているだ。今様というのは本来「現代風な」という意味なんだけど、この場合、平安時代後期に流行した歌のことをいうんだよ。

百花さん へぇ、昔からそういうのってあったんだね。今ならJ-POPだけど、平安時代だから、HEY-POPだね。HEY-POP、I・MA・YO~! へェイ!
 …で、どんな歌があったの。

ゆいまくん 「万(よろず)の仏の願よりも 千手の誓ひぞ頼もしき 枯れたる草木もたちまちに 花咲き実熟(な)ると説いまたふ」
 これはね、「千手観音の救いほど頼もしいものはない。枯れた草木にも花を咲かせ、実をならせるような力がおありなのだから」といった意味だよ ***。

百花さん 枯れた植物も生き返らせるって、奇跡を行えるってことだね。ん、待てよ。これって普通だったら救えないダメ人間でも、千手観音は救済してくださるっていうことを言っているのかな。実がなるっていうのも、救いのことをたとえている? 流行歌といっても、なんか深いのね。

ゆいまくん 後白河院はたびたび和歌山の熊野の神さまのもとへお詣りしているんだけど、1162年の参詣の際、熊野の新宮の神殿で夜通し読経を行い、明け方になって神々しさを感じるあまり、近臣とともにこの今様を繰り返し繰り返し歌い上げたんだ ****。

百花さん うわー、いつまでも起きてて夜中にハイになってはしゃぐ人だー。修学旅行でもそういう男子がいて、迷惑だったなー。神さまも困ってたんじゃないの。大体、どうして熊野の神さまの前でお経を読んだり、千手観音を誉め称えたりしたのかな。あ、もしかして、昔は神と仏が一体だった的なアレかな。

ゆいまくん そうだね。神仏習合の考え方で、熊野新宮の本地(ほんじ)仏は千手観音だとされていたんだ。

百花さん 後白河院はそれだけ深く千手観音を信仰していたってことね。で、その御所があった場所に三十三間堂があって、1000体の千手観音がまつられている… ってことは、もしかして三十三間堂をつくらせたのはその後白河院っていうこと?

ゆいまくん 百花さん、今日はとっても冴えているね! なんか起こらないといいけど…

百花さん 失礼な! 私はいつだって冴えわたっているんだから。今様だって歌えちゃうかもよ。「枯れたる草木もたっちまっちにぃ~」

ゆいまくん あ、わかったから、それはもうやめて!


(注)
* 鴨川の東側(鴨東、おうとう)は本来平安京の外側であるが、院政時代になると鴨東に離宮を設けたり、壮麗な寺院を建立したりするようになった。

** 法住寺は平安時代中期に藤原氏によって開かれた寺院の名前。火災などで衰退したのち、後白河院が御所を設け、お寺の名前を残して法住寺殿とした。北殿、蓮華王院、南殿、そして南殿の西南に設けられた最勝光院という4つの区画からなっていた。なお、後白河院はゆかりのこの地に眠っている(法住寺陵。三十三間堂の東側にあり、土日祝日以外はすぐ前まで行くことができる)。

*** 新編日本古典文学全集の現代語訳では「多くの仏の願よりも、千手観音の誓願は頼りに思われる。『一度千手におすがりすれば、枯れた草木さえも蘇って花咲き実が熟る』とお説きになられている」とある。

**** 『梁塵秘抄口伝集』巻10にあるエピソード。それによると、院らの今様に応えて松の木の上方から「心解けたる只今かな」との声が聞こえ(神の声ということであろう)、それから夜の明けるまで院らは歌い明かしたいう話になっている。

 

法住寺陵
法住寺陵