豊楽寺の伝釈迦如来像
平安後期の貴重な在銘像
住所
大豊町寺内314
訪問日
2009年7月20日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
豊楽寺(ぶらくじ)は土讃本線の大田口という駅で降りて、北へ徒歩約30分。
山中というと大げさだが、ほぼ上り坂で、途中細い道も通る。道しるべもあるが、わかりにくいところもあるので、地図は持つほうがよい。
拝観には事前連絡が必要。
拝観料
300円
お寺のいわれ
「四国の法隆寺」とも称される。本堂にあたる薬師堂が12世紀前半で四国最古の建造物(国宝)、また古代の仏像をおまつりしていることによる。
大田山豊楽寺といい、最寄り駅の大田口の名前もこのお寺の山号からきている。また、地名の寺内もこの寺院が由来で、今でこそひっそりとたつお寺だが、かつては栄えた寺院であったらしい。
薬師堂は山の中に鳥がふわりと降り立ったような美しい建物である。
拝観の環境
仏像は薬師堂内陣に薬師三尊像、釈迦如来像、阿弥陀如来像という名で伝わる像が安置されている。秘仏ではないが、普段は前に帳が降りている。拝観にあたってお寺の方が巻き挙げてくださる。
拝観は内陣、ただし左右の畳のあるところからの拝観で、間近にというわけにはいかない。また、堂内はやや暗い。しかし次第に目が慣れてくる。
仏像の印象
薬師堂内陣の仏像の中で、向って右に安置されている伝釈迦如来像が造形的にもまた銘文を有することからも注目される。
顔はどことなく子どもの面影を残し、頭部を前に出し、腰は絞り、脚部を包む衣の襞(ひだ)も生き生きとした線が流れる。一方体は厚みがあり、頭部も奥行きがあって、なかなか重厚である。大変魅力的な像と思う。
像高約130センチの坐像で、ヒノキの割矧(わりは)ぎ造。
像内背面の全面に墨書銘があり、造像にあたって聖俗の多くの人々が像に結縁した様子がわかる。
その中に1151年を示す年や「五間四面薬堂造立」という部分がある。これにより、本像ならびにお堂が1151年につくられたことがわかる。さらに「薬師一仏浄土」といった文言も見えることから、この像こそが本来この堂の本尊である薬師如来像であったと推定される。すなわち、もともとはこの像が本尊で、何らかの理由で現本尊と入れ替わってしまい、その後釈迦像と呼ばれるようになったということであろう。
薬師三尊像の中尊・薬師如来像や阿弥陀如来像もほぼ同じ像高で、似た雰囲気だが、より落ち着いた感じの像である。伝釈迦如来像よりは若干あとの作なのであろう。それぞれ素朴だがまた典雅でもある板光背がついている。
なお、薬師三尊像の脇侍は古様で素朴な作であり、もとは伝釈迦如来像の脇侍であったと思われる。
そのほか、外陣には数体の破損仏が安置されている。
その他
南国市の高知県立歴史民俗資料館に、伝釈迦如来像のレプリカが展示されている。
さらに知りたい時は…
『四国の仏像』(『日本の美術』226)、田辺三郎助、至文堂、1985年
『土佐の仏像』、池田真澄、 高知市民図書館、1979年
『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇』3、中央公論美術出版、1967年