林際寺の観音菩薩像・地蔵菩薩像
伊豆を代表する平安時代、南北朝時代の仏像

住所
河津町沢田82
訪問日
2024年11月14日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
林際寺(りんざいじ)は伊豆急行線河津駅下車、北西に徒歩約30分。バスでは、河津駅から河津七滝行き、修善寺駅行きに乗車し、「上峰」下車、徒歩約8分。
拝観は事前連絡必要。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれなど
臨済宗寺院。
創建は南北朝時代で、かつてはもっと山の方にあったそうだ。現在地には子院の安養寺(創建は室町時代)があったが、のちに本寺と統合されてここが林際寺となった。
本堂後陣にまつられている観音菩薩像は、もとは子院の安養寺本尊だった像という。様式や構造から平安時代の仏像と考えられ、安養寺や本寺の林際寺創建よりもずっと古く、もとの安置場所は不明である。
かつては本像の存在は広く知られるところとはなっておらず、1986年になって上原仏教美術館(現上原美術館)の調査によって見出されたという。
本尊の地蔵菩薩像もまた、上原美術館の調査がきっかけとなり、その重要性が広く知られるところとなった仏像である。2018年の調査によって像内銘が見つかり、造像年は南北朝時代の永徳2年(永徳は北朝側で使われていた年号で、1382年)、作者は朝栄という仏師とわかった。さらに別の史料から、本像は横浜市金沢区にかつてあった能仁寺の本尊として作られたことが判明し、造像年、作者、旧所在地が知られる貴重な中世仏像の作例となった。
拝観の環境
本尊、観音菩薩像ともに、近くよりよく拝観させていただけた。
観音菩薩像の印象
像高は約100センチの立像。針葉樹材による一木造。
まゆは高くカーブを描き、目はつり気味である。鼻と口は接近し、口はやや突き出す。顎はしっかりとつくり、ほおは丸く豊かである。
バランスのとれた体型で、右肩を若干後ろに引き、胴は絞り、腰は左にひねる。肩に掛けた天衣、条帛、裙の衣のひだは賑やかにつくられ、折り返した裙が綺麗に畳まれて「品」の字のような形がみえ、また、下肢に渦文になりかけのような模様があるなど、なかなかおしゃれである。一方、お腹の上部に2本の陰刻線が大きなカーブを描いて彫られており、豊かな肉体が強調されている。
いつまでも見続けていたいように思える、素晴らしい仏像である。
本尊・地蔵菩薩像について
像高約70センチの坐像。寄木造、玉眼。銘文から1383年の作とわかっている。
頭部、上半身を大きくつくり、目鼻立ちも大ぶりでやや茫洋とした表情である。衣の線は弧を描くことなく、自然な流れをつくっている。
両手を胸のところにあげて、左手で宝珠を取る。お腹のところに裙の結び目を見せている。
上原美術館や横浜市歴史博物館の展覧会図録の写真を見ると、全体に箱を積んだような不自然さがあり、表情も生硬に見える。しかし、お堂で少し下方から見上げるようにして拝観させていただくと、印象は一変する。威厳があり、口もとを少し緩めているところは穏やさ、優しさも感じさせる。
その他(涅槃堂について)
林際寺から西へ150メートルほどのところに涅槃堂という名前のお堂があり、近世作の素朴な釈迦涅槃像と悲しむ弟子たちや阿弥陀三尊像が安置されている。
河津桜のシーズンである2月は常時開いているらしいが、それ以外の日は堂内拝観を希望するならば事前予約必要。堂外からの拝観でよければ、ボタンでライトがつき、説明の音声が流れるようになっている。
さらに知りたい時は…
『伊豆仏に出逢う』(展覧会図録)、上原美術館、2024年
『無冠の仏像』(展覧会図録)、上原美術館、2022年
『横浜の仏像』(展覧会図録)、横浜市歴史博物館、2021年
『伊豆半島仏像めぐり』(展覧会図録)、上原美術館、2019年
「伊豆の仏像を巡る」38(『伊豆新聞』2013年2月24日)
『伊豆の仏像 南部編』(上原仏教美術館叢書1)、上原仏教美術館、1992年
『河津町の文化財(3版)』 (河津町史資料編1)、河津町教育委員会、1989年
『河津町の寺院』(河津町史資料編4)、河津町教育委員会、1987年
→ 仏像探訪記/静岡県
