清水寺(松代)の古仏

本堂にならぶ10~11世紀の仏像

住所
長野市松代町西条147


訪問日 
2023年9月16日


この仏像の姿は(外部リンク)
信州松代北信濃厄除大師清水寺ホームページ



拝観までの道
長野市には平安時代の仏像を伝える清水寺が2か寺あり、地名から若穂保科の清水寺、松代の清水寺ともよばれる。ここで紹介するのは松代の清水寺(せいすいじ)の方である。
交通は長野駅善光寺口からアルピコ交通バス松代高校行き(バスの表示では松代行きとなっている)に乗車し、終点の「松代高校」下車、西南方面に徒歩20分。
拝観は事前連絡必要。


拝観料
500円


お寺や仏像のいわれなど
真言宗寺院。寺伝では平安初期に坂上田村麻呂が創建し、その後衰微していたのを武田信玄が復興したという。

江戸時代中期に焼失し、救い出された仏像を仮の本堂を建てておまつりしていたが、戦後間もなく現在の耐火式の本堂がつくられた。お堂であり、宝物館でもある形式の建物として、国の支援で建てられたはじめてのものという。


拝観の環境
お堂の中は明るく、とてもよく拝観させていただくことができた。


本尊・千手観音像の印象
堂中央に安置される千手観音像は、像高約180センチの立像。サクラの一木造で、内ぐりもない古様なつくり。

衣の線の彫りの浅い彫りから、平安時代後期、11世紀ごろの作と考えられているが、顔つきはどことなく奈良・聖林寺の十一観音像を思わせ、下肢の衣のひだのていねいなつくりは薬師寺聖観音像を想起させる。古代の仏像の美しさを踏まえた像ということになろうか。
顔は小さめ、脚部は長めで、上半身はそり気味である。全体に細身だが、斜めから見ると腰のあたりの肉付きは豊か。


観音菩薩像、地蔵菩薩像について
本堂壇上で、本尊の千手観音像よりも古いとされる像は、本尊の左右に脇侍のように安置されている観音菩薩像と地蔵菩薩像および薬師如来像、四天王像のうちの3体(残り1体は後補)である。これらは平安時代前期、10世紀の像と考えられている。


なかでも観音菩薩像(聖観音像)はたいへん魅力的な像。像高は約160センチの立像で、カツラの一木造。
顔立ちからしてどころなくエキゾチックで、高い天冠台、こめかみのところで巻く髪は強い印象を与える。手、肩、腰、足はそれぞれ動きがあり、全体として調和を保ちながら、動勢を生み出している。胸はゆったりと大きく、腹はぐっと突き出しつつ腰は絞る。裙のひだの太い線、細い線もすばらしい。裙を腰のところで折り返したところが左右に広がるさま、また正面の裙のうちあわせの処理も魅力的である。
天衣は右肩から下がっているものが膝のあたりを横切る。左肩からのものは後ろを回っているようで、後ろの様子も見たいものだと感じる。

地蔵菩薩像は像高170センチ弱の立像。観音像とほぼ同じ像高、また同じ樹種、構造であり、豊かな胸、いかり肩であるところなど作風も共通するので、おそらくもともと観音像と一具であったものと考えられる。
少し首をかしげる。眉をあげ、目は切れ長とせず、あごをしっかりとつくる。左肩を少しだけ後ろに下げてバランスをとる。

衣は太いひだの間に細かなひだを2本入れる。右(向かって左)の腕から下がる衣の横に刻まれたひだの線も力強い。

 


そのほかの本堂壇上の仏像
薬師如来像は像高1メートル強の立像。材質。構造は観音菩薩像、地蔵菩薩像と同様である。ややくせのある顔立ち、肉髻がぬっと盛り上がっているところ、また、力強い衣のひだなど、魅力的な像である。

四天王像は1メートルほどの像高。向かって右の前に立つ持国天像はあとの時代に補われたもの。他の三像は、戟をとる像(本来の持国天像か)はきりりと立つ姿がりりしい。

後補の像も含めてすべてが兜をかぶっている。後補像ももとの像の姿を踏襲しているとするなら、すべてが兜をつけた四天王像ということになり、例がないわけではないが、珍しい。

このほか、毘沙門天像、梵天像が安置されており、これらも平安時代の作である。


さらに知りたい時は…
「長野市松代町・清水寺の平安前期木彫諸像について」(『美術史』187)、花澤明優、2019年
『定本 信州の仏像』、しなのき書房、2008年
『長野県史 美術建築資料編 美術工芸』、長野県、1994年


仏像探訪記/長野県