天王寺の毘沙門天像
1月1日〜10日に開扉
住所
台東区谷中7-14-8
訪問日
2011年1月3日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
JR日暮里駅南口下車、改札口を出て左に行くとすぐに見えてくる塀の向こうが天王寺である。
毘沙門天像は秘仏で、毎年1月1日から10日まで開扉される。
拝観料
拝観料の設定は特になかった。
お寺や仏像のいわれなど
東京、つまり昔の江戸は、幕府が開かれて日本の中心地となると多くの寺が開かれた。もちろん仏像が新造されてまつられることも多かったが、京都などから古い仏像が移されてくるというケースもあった。
その後関東大震災や東京大空襲もあったが、それでも東京にはいくつも古仏が伝わっている。
天王寺の毘沙門天像もそのひとつで、平安時代の古像。
天王寺は天台宗だが、もと感応寺といい、かつては日蓮宗不受不施派だったという。
日蓮は自らの宗の信者以外から布施は受けず、信者以外へは供養を施さないことを説いた。日本の仏教は多く権力と衝突することを上手に回避する傾向があったが、この不受不施を貫こうとした日蓮宗の一派は、秀吉や家康によって弾圧された。江戸時代に弾圧された宗教というとすぐにキリシタンを思い浮かべるが、日蓮宗不受不施派もまた禁圧の対象で、感応寺も強制的に天台宗に改宗させられた。1698年のことである。
日蓮宗だった時代の遺品としては、天王寺の門を入るとすぐに目にはいってくる露座の仏像がある。丈六釈迦坐像であり、1690年の作である。
毘沙門天像は、天台宗への改宗の際に比叡山からもたらされたものである。
なお、天王寺と寺名を変えたのは、江戸末期の1833年。
近代になり、どのような理由によるのか本尊は阿弥陀仏に変更になり、毘沙門天像は本堂に向って右側の毘沙門堂にまつられ、谷中七福神のひとつとしても信仰を集めている。
拝観の環境
堂内は照明もあるが、金色に輝く厨子内に安置される黒い像のため、やや細部が分かりにくい。
仏像の印象
毘沙門天像は、像高約120センチの立像。ヒノキの一木造で、内ぐりも施さない古様なつくりである。
目は大きく見開き、つり上がった眉は太く、口はへの字に結ぶ。引き締まった表情だが、素朴さがあって親しみを感じる。
冠のためによく見えないが、やはり素朴な感じの兜をかぶっているようだ。鎧の模様や天衣の流れも洗練されていない。
全体に細身だが、腰はさらに絞り、太い縄をぐるぐると巻き付ける。右足をわずかに斜め前に出しているが、ややぎこちない体勢である。
古仏の風格を感じる像と思う。
さらに知りたい時は…
『東京近郊仏像めぐり』、学研、2009年
『台東区の文化財保護』第1集、台東区教育委員会、1993年
『台東区の文化財』第1集、台東区教育委員会、1989年