国分寺薬師堂の薬師如来像
毎年10月10日に開扉
住所
国分寺市西元町1-13-16
訪問日
2009年10月10日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
西国分寺の駅から南東に徒歩15分くらい。国分寺駅からも歩ける距離である。
このあたりには「国分寺崖線(がいせん)」という河岸段丘の地形がある。数十メートルの高低差で急に下がる地形が東西に長く続き、湧き水も豊かで、名水の出るところとして名高かった。
西国分寺駅や国分寺駅から南へ向うと、道が急に下り坂になるところがあるが、そこが国分寺崖線である。国分寺(武蔵国分寺)の薬師堂はこの崖線の上にあり、その前の急な石段を降りると仁王門があるが、これが崖線の下になるわけである。
薬師堂と仁王門および仁王門安置の仁王像は江戸時代のもの。
薬師堂の本尊薬師如来像は、毎年10月10日に開扉される。筆者は11時半頃到着したが、行われていた法要がちょうど終盤に入っていて、その終了後内陣で拝観できた。
拝観料
特に拝観料等の設定はなかった。
お寺や仏像のいわれ
創建の奈良時代の国分寺はさらにその南側にあった。現在は遺跡公園となって、一部で発掘調査が続いている。
発掘で得られた知見によれば、平安前期にかけて発展したあと、平安後期には衰退をはじめたらしい。その後なんとか命脈を保ったが、鎌倉幕府が滅亡する際、新田勢による攻勢によって火にかかり、そのとき薬師如来像はあやうく難を逃れたと伝える。その像が現薬師堂本尊の薬師如来であろうと思われる。
この像は古代、中世の国分寺をしのぶ唯一の伝世品ということになる。
拝観の環境
堂内は照明があって明るく、よく拝観することができた。
仏像の印象
像は像高2メートル近い大きな坐像である。胴は高く、首もやや長い。表面が傷みのためにまだらのようになってしまっていて、顔の表情などつかみにくい。特に正面からは平板に感じる。
しかし近づいてよく見ていると、なかなか引き締まった表情の像とわかる。特に強く結んだ口元は魅力的である。
螺髪は小粒で、まとまりがよいが、頭頂部は厨子の陰となり見えない。平安時代末か鎌倉時代の像と思われる。
脇侍の日光・月光菩薩と左右の十二神将像はのちの補作。十二神将像の中には像内に江戸時代中期の作であることを示す墨書をもつものがあるそうだ。
その他
仁王門の東側にはもうひとつ門(楼門)が立っていて、現国分寺本堂はその奥、崖線をバックにした位置にある。
楼門のさらに東側には、「おたかの道湧水園・武蔵国分寺跡資料館」があり、ここで、銅造の観音菩薩立像(国分寺市教育委員会蔵)が常設展示されている。
さらに知りたい時は…
『鎮護国家の大伽藍 武蔵国分寺』、福田信夫、新泉社、2008年
『見学ガイド 武蔵国分寺のはなし』(改訂版)、国分寺市教育委員会、2002年
『国分寺市の文化財』、国分寺市教育委員会、2002年
『国分寺市史』上、国分寺市史編さん委員会、1986年