甚目寺の仁王像
福島正則が寄進した像
住所
あま市甚目寺東門前24
訪問日
2019年9月28日
拝観までの道
交通は名鉄津島線で甚目寺駅下車。西へ数分。
仁王像は南大門に安置されている。
拝観料
拝観自由
お寺や仏像のいわれなど
荒子観音、笠寺、龍泉寺とともに尾張4観音の1つ。本尊は十一面観音像で、50年に一度の開帳仏という。仏画なども多く伝えるが、
甚目寺の創建は寺伝では6世紀末というが、実際に発掘調査によれば7世紀後半の遺物が出土し、奈良時代以前からの大変な古刹である。甚目寺という名前は、甚目(はだめ)氏という豪族の氏寺であったことからつけられたものであるようだ。しかし12世紀ごろには特定の氏の寺というのではなく、地域によって伽藍が維持されていたらしい。
南大門は12世紀末から13世紀のはじめのもの。13世紀後半には一遍もこの寺を訪れ、『一遍聖絵』には本尊脇侍の毘沙門天像(現存せず)を拝む一遍の姿も描かれている。
かつては天台寺院であったらしいが、のちに真言宗に転じている。
江戸時代には観音霊場として栄え、今日でも節分会の際には境内に納まりきれないほどの人が訪れるのだそうだ。
本堂は1992年の再建。
一方南大門安置の仁王像は、南大門が鎌倉時代のものだそうで、像も鎌倉時代前期、運慶の作と伝えられてきた。数年前に修復され、銘文が発見されて、桃山時代に秀吉の武将として有名な福島正則によって寄進されたものと判明した。
南大門の仁王像は鎌倉時代、運慶の作として伝えられてきたが、近年になって修復が行われた際に像内より銘文が発見され、1597年の作であり、福島正則の寄進によるものであることが確認された。
拝観の環境
仁王像は網越しの拝観。また、回りに柵を巡らしているので、正面からはやや遠い。しかし門の内側からは近い位置でよく見ることができる。膝から下は見えない。
仏像の印象
像高は約3メートル半。阿形像は口を開くが、やや控えめに開いている感じで、大きく叫んでいるようではない。左手に金剛杵を肩にかつぐように振りかぶっている。吽形像は武器は持たず、左手は強くこぶしを握り、右手は開いててのひらをこちらに向けている。顔は四角張って、精悍であり、体勢も無理のない自然さがある。胴のくびれをしっかりとつくっているのもメリハリになっている。
しかし、筋肉を強調しているようで、実際はやや平板な印象である。背中の肉付きも今ひとつたくましさが感じられない。衣のなびく様子もダイナミックさに欠けるようである。
その他1
境内の十王堂には地獄十王像と地蔵菩薩像、奪衣婆像が安置されており、拝観できる。
地蔵菩薩像の像内に江戸時代に再興されたとの銘がある。「再興」とあるものは、古像を修理したという場合と新造したという場合がある。本像は南北朝時代ごろの作を江戸期に修理したものではないかと考えられている。
三重塔内には鎌倉時代の愛染明王像が安置されている。節分会(2月3日または4日)に間近で拝観できるというが、塔が昨年(2018年)の台風で一部破損したために修復を待っているとのこと。もとのごとく拝観できる日についてはまだわからないそうだ。
その他2
南大門より南へすぐのところに、あま市甚目寺歴史民俗資料館がある(甚目寺産業会館の2階)。入館無料。甚目寺跡出土の遺物や寺宝(仏画はレプリカ)などを展示。
仁王像の小型の模型も展示されている。
さらに知りたい時は…
『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年
『甚目寺観音展』(展覧会図録)、名古屋市博物館ほか、 2011年