桑戸不動堂の五大明王像
毎年1月28日に開扉

住所
笛吹市春日居町桑戸175-1
訪問日
2025年1月28日
この仏像の姿は(外部リンク)
伝匠舎・トピックス
拝観までの道
桑戸不動堂は、中央本線の春日居町駅から東へ徒歩約15分。
このお堂にまつられていた五大明王像は、現在では裏手の新しい建物(桑戸東区コミュニティセンター)に移されている。毎年1月28日の日中に扉が開かれ、よく拝観できる。
この1月28日には、ご法要(五躰尊祭典)が13時30分から行われる。
筆者は13時過ぎに着いたが、その時には地域の皆さんが多数お堂の前の広場にお集まりになっていた。
法要は、ゆかりのお寺のお坊さんによって不動堂、コミュニティセンター、そしてお堂の横に立つ蚕の神様をまつった石碑の3カ所で読経が行われた。参列者によるお焼香、地区の方の挨拶などがあり、お神酒も振る舞われた。45分から50分くらいの時間だった。
筆者は、法要の前後で拝観させていただいた。
拝観料
特に拝観料等の設定はなかった
お寺や仏像のいわれなど
五大明王像は平安時代の作で、5体揃って伝来している例としてとても貴重なものである。
近くの地蔵院というお寺に伝えられるところによれば、これらの像はもと地蔵院に伝来し、戦国時代にこの不動堂に移されたという。
以前は近世の彩色に覆われ、手先も失われているものが多く、中尊の不動明王像にいたっては目が玉眼に変えられていた。しかし、全体の保存状態は見た目ほどには悪くなかったそうだ。
2000年代に修理され、後世の彩色は取り除かれ、手なども補われて、面目を一新した。修理ののち、3年間ほど東京国立博物館にお出ましにもなった。
拝観の環境
五大明王像はコミュニティセンターの中に横一列で安置されている。
建物内は明るく、よく拝観できた。
仏像の印象
中尊の不動明王は坐像、像高90センチ弱で、割矧ぎ造。他の4明王は降三世、軍荼利、金剛夜叉、大威徳というお馴染みのメンバーで、像高はそれぞれ140センチ強(水牛に座る大威徳明王は坐高で約80センチ)で、これらは一木造である。材はいずれもヒノキという。平安時代後期の作。
明王の怒りの顔つきはゴツゴツと凹凸をつけて表現され、体躯は引き締まり、手は伸びやかにつくられる。
憤怒像でありながらどこか大らかで明るい雰囲気があり、魅力ある群像である。
その他
五大明王像がもと安置されていた不動堂は江戸時代中期の建築。江戸時代後期の不動明王像(塑像、像高約80センチの坐像)が安置されている。
五大明王像が伝えられてきたという地蔵院は曹洞宗寺院。この1月28日の法要でも地蔵院のご住職が尊像の前で読経をしてくださっていた。
地蔵院は春日居町駅と桑戸不動堂の中間、やや北側にある。本尊の地蔵菩薩像は五大明王像中尊の不動明王像の胎内仏であったと伝える。
地蔵院にはまた、平安時代後期の十一面観音像も伝えられている。像高約140センチの立像で、ヒノキの一木造。本堂の手前左側の観音堂内に安置され、堂外よりガラス越しに拝観ができる。
*曹洞宗地蔵院・地蔵院の歴史
さらに知りたい時は…
『祈りのかたち 甲斐の信仰』(展覧会図録)、山梨県立博物館、2006年
『山梨県史 文化財編』、山梨県、1999年
「春日居町・桑戸区木造五大明王像について」(『山梨県史研究』6)、鈴木麻里子、1998年3月
→ 仏像探訪記/山梨県