方外院の如意輪観音像

  毎年3月18日に開扉

住所

身延町瀬戸135

 

 

訪問日

2009年3月18日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

身延町ホームページ・歴史・文化

 

 

 

拝観までの道

方外院は山梨県の南部、身延町瀬戸にあり、瀬戸観音とも呼ばれる。富士川沿いを走る身延線から富士五湖の一番西にある本栖湖の方へと入ったところ、照坂峠を抜けるトンネルを越えてすぐ北側にある。

足としては、身延線の久那土(くなど)駅から身延町営バス古関行きで「瀬戸観音」下車(古関甲斐岩間線、古関循環線)。ただし昼間の運行は少なく、日曜日は運休。

タクシーは久那土駅の隣の甲斐岩間駅に乗り場があり、これを使うと約10分、3,000円弱の料金。帰りは町営バスを使うとしてその時間に合わせて行きはタクシーに乗るか、行きをバスとして帰りは歩くか。歩きの場合、下り坂ではあるが、身延線の駅まで1時間以上かかる(このほか下部温泉郷と富士吉田間の富士急バスが近くを通るが、1日1往復のみ)。

 

身延町営バス

 

本尊は秘仏の如意輪観音像。かつては1月18日に開扉していたそうだが、現在は3月18日をご縁日としてご開帳している。

 

 

拝観料

特に拝観料の設定はなかった。

 

 

お寺のいわれ

曹洞宗のお寺で、それ以前は真言宗だったと伝えられるが不詳。

南北朝時代に曹洞宗寺院として本栖湖畔に開かれ、本像は本栖観音と呼ばれたという。

何度か移転して、この場所に来たのは16世紀末とのこと。本堂内に残されている駕篭から、かつては高い寺格を誇った寺であったことが知られる。

 

 

拝観の環境

如意輪観音像は本堂奥に安置されている。

すぐ前で拝観できるが、厨子中のためやや暗い。

 

 

仏像の印象

像高約90センチの坐像。手が6本で体を少し傾け、右手の一本が頬に触れ、右膝を立てる、我々がよく知る如意輪観音像の姿である。

しかし、その印象はかなり特異である。

6本の手がすらりと長い。顔も面長で、鼻筋が通り、異国風な印象がある。まげは、たとえが悪くて恐縮だが、大きな瘤の如き様相で荒削りのままに頭に載る。冠は亡失しているが、本来は冠の陰になるので細かなところまで整形しなくてよいと判断したのだろうか。体は四角張っている。腹前に大きく布が垂れているが、これも強い印象を与える。条帛が垂れている表現なのであろうか。異様である。ただしこれは後補なのかもしれない。その他、肩から下がる天衣や腕のアクセサリー類なども後補。

足はたくましく、また襞(ひだ)は強く深く刻むところと刻まず足の丸みをあらわす部分を大胆に共存させている。

頬に近づけている手は、指を下にして手の甲を顔に近づけている。

彩色や足の裏の瑞祥文(輪宝や双魚文が描かれている)が残っているが、やや暗い場所のため、細部までは分からないので残念である。

 

材は広葉樹で、カツラではないかとのこと。構造は体幹部は一木でつくられ、背中からくりがあるらしい。ただし修理が行われていないため、詳細は不明。

他の仏像にない非常に個性的な像であるので、制作年代を推定するのはなかなか難しいが、異国風を感じさせることや足裏の文を考えると、宋彫刻の影響のもとにつくられたと考えられる。お寺が1362年に開かれたというのが根拠ある伝であるとして、その頃すなわち南北朝時代の作と考えるのが妥当なところのようである。

 

 

その他1

本堂入口には千頭の馬が描かれているという20メートルもある大きな額がかけられている(千匹馬大額)。近代初年の作という。この大絵馬にちなんでか、堂内には馬の額が多数奉納されている。また、ご住職が趣味で集められたカンテラや行灯などの明かりのコレクションも置かれている。

 

 

その他2

身延町の南、南部町の塩沢というところに薬師堂があり、「鉈彫り」の薬師如来坐像がまつられている。鎌倉時代ごろの作で、秘仏。両手先まで共木で彫り上げられた力強い仏像であり、光背、台座も一具であるのは貴重。身延線の内船(うつぶな)駅から西へ徒歩約25分。開扉は戌年の初薬師の日(1月8日)の午前中らしい。

筆者は2018年のご開帳にうかがった。10時から11時くらいまで法要があり、その後1時間ほどの間、堂内で拝観が可能となる。問い合わせは南部町の生涯学習課。

 

 

さらに知りたい時は…

『山梨県史 文化財編』、山梨県、1999年

 

 

仏像探訪記/山梨県