藤次寺の弘法大師像
弘法大師像は1のつく日に拝観可能
住所
大阪市天王寺区生玉町1-6
訪問日
2016年1月1日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
藤次寺(とうじじ)は大阪の町中にあるお寺。
大阪市営地下鉄谷町線、千日前線の谷町九丁目駅下車、3番の出口から地上に出たところが藤次寺の塀外で、南側すぐのところに山門がある。
弘法大師像は本尊に向かって右側の間に安置されている。毎月1、11、21日を「縁日」としており、お姿を拝観できる。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれなど
藤の字がつくが、藤原氏と関係が深い寺院であるからという。真言宗で、本尊は如意宝珠融通尊という聞き慣れない仏さまだが、これは宝生如来のことだそうだ。「融通さん」として信仰を集めている。
弘法大師像は本尊に向かって右側の間に安置されている。室町時代(15世紀前半)の作で、作者は運慶流の流れを汲む仏師康秀である。
拝観の環境
密教本堂の形式のお堂で内外陣が格子で厳格に区切られ、外陣からの拝観となる。像まで5~6メートルの距離があるが、堂内は比較的明るい。一眼鏡のようなものを持つとよい。
仏像の印象
弘法大師像は像高50センチ余り、ヒノキの寄木造、玉眼。
若々しい印象の像である。
目をしっかりと開き、眉は余り高くはあげず、口もとは若干口角をあげているので笑みを浮かべているようにも見える。
上半身は堂々として、安定した座り方である。緊張感や生々しさは感じられず、穏やかで落ち着いた姿であるように思う。衣のひだは自然な流れである。
その他(作者の康秀について)
この像の首の内側部分に1437年に大仏師法眼康秀よってつくられたと書かれている。
康秀を名乗る仏師は2人おり、ひとりは15世紀に「下野法眼」を名乗った康秀、もうひとりは16世紀に活躍し「左京」を名乗って活躍した康秀であるが、本像の作者は「下野」の方の康秀である。
康祐の子で、運慶流を受け継ぐ七条仏所のリーダーであり、その他の作品としては、京都東山の長楽寺に残る時宗の祖師像がある。
さらに知りたい時は…
『日本中世の仏師と社会』、根立研介、塙書房、2006年