興善寺の大日如来像
数百人の合力によってつくられた像
住所
岬町多奈川谷川1460
訪問日
2009年12月5日
拝観までの道
南海本線のみさき公園駅から支線の多奈川線に乗り替え、終点の多奈川駅で下車。そこから西へ徒歩25分くらい歩いたところにある。
バスを使う場合は、みさき公園駅または多奈川駅から「ミニループバスみさき」で小島住吉行き、ピアッツァ5行きバスで「極楽橋」下車、南側への坂道を登って行くと数分で着く。バスの本数は1時間に2〜3本。
大阪といっても和歌山県に近く、海にも近い暖かい気候で、駅からのんびり歩いてゆくのもお勧めである。
拝観はご住職がいらっしゃればいつでもできるということだが、念のために事前に連絡を入れてから行くとよい。
拝観料
志納
お寺のいわれ
平安時代前期の草創で、寺地が中国長安の古刹大興善寺を彷彿とさせることから興善寺と名付けられたと伝える。
かつては大伽藍を誇ったというが、安土桃山時代に一山悉く灰燼に帰し、江戸時代前期に復興した。
拝観の環境
山門を入ると池があり、その前の石段を上がって行くと立派な本堂(江戸時代前期の再建)が建つ。ここに3躰の仏像が安置されている。
本堂の奥には厨子がつくりつけになっていて、お寺の方が大きな扉をひとつずつ開いていってくださる。中央には丈六の胎蔵界大日如来坐像、左右には半丈六の釈迦如来坐像、薬師如来坐像(いずれも平安時代後期)が安置されている。
近くからよく拝観できる。ライトが斜め下から当たって、雰囲気がある。
仏像の印象
本堂はなかなか大きいお堂なのだが、それでも丈六の大日如来像にとっては窮屈そうで、左右の像は壇に乗っているが、この像のみ壇をつくらず床に直接台座を置いている。
まげは小さくつくり、顔は四角ばっている。姿勢はよい。目線は斜め下に向う。条帛はいかにも薄手であるよう表現され、足をくるむ衣の襞(ひだ)も端正である。両足の間から前へと流れる衣の線もほれぼれするほど美しい。いかにも平安時代後・末期の優美な仏像であるが、一方胸や腕からはたくましさが感じられ、丈六仏のスケールによる力強さ、あるいは地方的な造像による素朴な存在感があって、魅力がある。もものあたりも重量感を感じる。
像高は290センチ近い。体幹部はヒノキの巨材を用いた割矧(わりは)ぎ造である。
院政期に多くつくられた大日如来の巨像の中で、現在も伝わる大変貴重な作例。全国にいくつか残る類例の中でも最大級の像高を誇っている。
像内銘
これらの像は1921年に修理され、その際大日如来像と脇仏の釈迦如来像の像内から墨書銘が見つかった。
大日如来像の銘文には、1120年に延暦寺の像にならってつくられたこと、そして聖俗、男女合わせて数百人もの結縁者の名前が書かれている。この時代の人々にとり、造像に参加することで仏に結縁するという行いがいかに大切なことであったかが伝わってくる。
釈迦像の像内銘には、1083年の年、仏師名、そして結縁者として150名ほどの名前が書かれ、その中の20名以上が大日如来像の銘文中の人物と重複する。
仏師は「大仏師僧経範」など5人の名前があるが、これらの仏師は他の史料には見えず、不詳。中に「源増」という仏師名があり、気になる(醍醐寺仁王門の金剛力士像の作者、勢増・仁増と「増」の字が共通)。
さらに知りたい時は…
『最澄と天台宗のすべて』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2021年
『和泉地方の仏像』(展覧会図録)、堺市博物館、1988年
『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇』2、中央公論美術出版、1967年