獅子窟寺の薬師如来像
平安前期木彫を代表する如来坐像
住所
交野市私市2387
訪問日
2009年5月16日
拝観までの道
大阪府北東部の交野市。獅子窟寺(ししくつじ)はその東部に位置する。山岳地帯というと大げさだが、奈良県生駒市へと続く急峻な丘陵地帯の中にある。
交通はJR片町線(学研都市線)の河内磐船駅または京阪交野線の河内森駅下車(この両駅は300メートルくらいしか離れていない)、東南へ徒歩約25分。河内森駅からひとつ南側の私市(きさいち)駅からも同じくらいの時間で歩けるようだ。
徒歩25分のうち最初の10分はゆるい上り坂であるが、そのあとの15分は急坂が続く。狭い道だが整備され、一本道なのでわかりやすい。毎朝地元の方が掃除をされているということで、すがすがしい緑の中の道となっている。途中地域の方と何人もすれ違ったが、この道の先にはお寺しかないので、皆さんお参りに通っていらっしゃるのだろう。ここを毎日歩けばさぞかし健脚になるだろうと思った。
お寺のパンフレットには徒歩40分と書かれている。気候や体調によってはこれくらいの時間をみた方がよいのかもしれない。
拝観は事前予約が必要である。
拝観料
300円
お寺のいわれ
獅子窟寺の名前の由来は、この付近は巨岩が多く、その中に獅子の口にたとえられた洞窟をともなうものがあり、修行の場となっていたことによるという。
獅子窟寺の古代、中世については、聖武天皇の勅願によって行基が開いた、最盛期には12の子院があった、一時衰退するも鎌倉時代の亀山上皇によって再興された等の伝承があるが、確かなことはわからない。
江戸初期の大坂の役に際し、豊臣方から命じられた加勢を断ったために全山焼かれてしまい、その後光影律師という僧によって復興されたという。現在は小さな本堂がぽつんと立ち、その右手庫裏の裏側に収蔵庫がつくられて、本尊はそちらに移されている。
拝観の環境
収蔵庫内は明るく、近くからよく拝観できる。
仏像の印象
本尊の薬師如来像は像高90センチあまりの坐像で、カヤの一木造。平安時代前期を代表する仏像である。
力強い顔つき、衣の襞の刻み、バランスがとれた隙のない座り姿の像で、仏像の中の仏像といいたいほどである。
面長だが四角張った顔をしている。いかめしい印象の像である。眉は美しく弧を描き、目は切れ長でつり上がり気味である。まぶたの切り込みが深く、強い印象を与える。
肉髻は高めで、螺髪は乾漆でつくってひとつひとつ釘で留めている。後補部分が多いが、後頭部に当初のものが残っているそうである。
堂々とした体躯で、安定感がある。腰はよくしぼり、右の脇腹や左の腕、下半身に巻き付けるように着ている衣の線がダイナミックで、すばらしい。平安前期彫刻らしい翻波式衣文である。
両手は残念ながら後補。
その他
薬師如来としては、非常に変わった手のかたちをしている。右手はてのひらをこちらに向けた施無畏印。左手はてのひらを上に向けて体の前に構え宝珠を持っている。
後補であるといっても、もとの状態を踏襲してそのような手のかたちをしているのかもしれないが、右ひじの曲がり方がやや不自然であるので、もとは違っていたとの推測もありえる。
左手を腹の前で上に向け、右手はその少し上で親指と別の一本の指で円をつくる薬師像は珍しいが類例はある。智吉祥印(吉祥印とも)と呼ばれる印相だそうで、獅子窟寺の薬師像はこの印であった可能性がある。
また、もっと単純に両手を胸前で構える説法印の像としてつくられたとの想定も可能だが、その場合には当初は阿弥陀像であったということになろう。
さらに知りたい時は…
『空海と密教美術展』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2011年
「獅子靴寺蔵薬師如来坐像に関する一考察」(『芸術学』15)、西山政統、2011年
『週刊朝日百科』035、朝日新聞社、1997年10月
『薬師如来像』(『日本の美術』242)、伊東史朗、至文堂、1986年7月