阿弥陀寺の薬師如来像
現在は京都国立博物館に寄託中

住所
城陽市枇杷庄大堀14
訪問日
2010年11月28日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
近鉄京都線の富野荘(とのしょう)駅から南南西に徒歩10分ほどのところにある。
細い道の先にあるお寺なので、地図は持つ方がよい。すぐ南側は木津川が流れる。
仏像拝観は事前予約必要。
拝観料
志納
寺や仏像のいわれなど
浄土宗の寺院で、本尊は鎌倉時代の阿弥陀如来坐像。
薬師如来像は、本堂に向って左側の収蔵庫に安置される。
この像はもと別の寺院にあったが、近代初期の廃仏で廃寺となり、移されてきたそうだ。その寺は、近くの天満宮(江戸初期の社殿が残る)の神宮寺らしい。確かに薬師如来像は神仏の霊威をともに備えたお像に思える。
*以下は2010年に訪問した記録です。本像は2015年後半より京都国立博物館の寄託となりました。筆者が2016年1月に同博物館を訪れた時には、常設展示館1階の彫刻のギャラリーに展示されていました。
拝観の環境
収蔵庫内で拝観させていただける。中は明るく、間近に、また側面からも拝観できる。
仏像の印象
像高は1メートル弱。材はカヤ。台座蓮肉までの一木造。内ぐりもなく、古様なつくりである。螺髪や両手先は後補。
肉髻が大きく、顔は四角ばる。彫りの深い顔立ちで、目はつり上がり、力強い。鼻筋がよく通って、横からの表情もすばらしい。面奥が深い。
衣は賑やかで、特に腕から下がる部分には翻波式となっている。胸やももは厚く、ももには衣のひだをつくらず、股間へと深い線を刻んで、U字型(ただし左右対称を崩す)を形成する。
平安前期の時代にはこのような慈悲というよりは厳しい表情の薬師如来像がつくられた。その霊威によって疫病や災害を防いでくれることが期待されたために、そうした表現がされたのだと考えられている。
この仏像がまつられて来た地域は木津川域であり、その氾濫から人々を守ってくれることを願ってこの地に安置されたのではないかとも考えられる。
ほぼ素地をあらわすが、衣文のへこみにわずかに顔料がのこっているそうで、もとは淡い黄色を塗って、檀像彫刻に近い色合いの仕上げをしていたと考えられている。
その他
お願いすると本堂の阿弥陀如来像も拝観可能。
像高90センチ弱の坐像で、ヒノキの寄木造、来迎印。鎌倉時代の上品な仏像である。
さらに知りたい時は…
『名作誕生』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2018年
「木津川流域の薬師悔過とその仏像」(『続々日本仏教美術史研究』)、中野玄三、思文閣出版、2008年
『仏像』(特別展図録)、東京国立博物館ほか、2006年
『城陽市史』1、城陽市史編さん委員会、2002年