雨宝院の千手観音像
平安前期を代表する名像
住所
京都市上京区聖天町9-3
訪問日
2013年7月13日、 2023年6月8日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
雨宝院は京都市バス「千本上立売」から東へ、または「今出川浄福寺』より北へ、いずれも徒歩5~6分。
地下鉄烏丸線の今出川駅からは、上立売通りを西へ約20分。
観音堂内に安置されている平安前期の千手観音像の拝観は、事前連絡必要。ただし、2023年にうかがった際には、拝観の人手がさけるかどうかは当日になってみないとわからないので、その日の朝に電話してほしいというお話だった。
拝観料
1500円
お寺のいわれなど
真言宗のお寺で、空海草創と伝える。正式名を大聖歓喜寺といい、現在地よりやや西南にあったらしい。応仁の乱後荒廃し、その後再興、また江戸時代前期に今の場所に移転したというが、古記録等は伝わらず、詳しい寺史は不明。本尊は秘仏の歓喜天(聖天)で、西陣聖天宮とも称する。
拝観の環境
近くよりよく拝観させていただける。
仏像の印象
千手観音像は、像高2メートル余の立像。材はヒノキという。乾漆を加味した一木造の像である。
本像でまず気になるのは、腕が10本しかないことである。
千手観音の像は、経典類によればさまざまなあらわし方があるというが、日本では11面、腕は42本でつくられることが多い。42の腕は、胸前で合掌する2本、その下で鉢を持つ2本以外の38本を左右に19本ずつつけ、6本、7本、6本の3段にして、前腕のみで表わすというように定型化が進む。平安後期以後の千手観音像はほぼこの姿をしている。
それに対してこの像では太い腕がにょきにょきと上腕からつき、明らかに定型化する前の姿であることがわかる。今は10本だが、空間を考えるとさらに30本あまりがつくとも思えず、小さな手を間に配するなど工夫してつけられていたのかもしれない(今ついている腕についても、すべてが当初のものとは思えない。細く優美に感じられる手は後補と思われる)。
最後の修理は20世紀前半、戦中に行われた小規模なもので、以後修理やは行われていないようで、実際にどのように腕がついていたのかは、よくわからないようだ。
しかしそれでもこの像はすばらしい。いくつもの腕が空間を抱きかかえるように、そしてそれが動きをはらみながら配置されていて、角度によってどんどん印象がかわる。
顔はやや四角ばり、目は比較的見開きが強いが、鼻、口など控えめなつくりで、どちらかというと童顔に近いように思われる。面奥が深く、かつ頭の後ろ側は幅広につくられていて、斜めから拝見すると、どきりとするほどの奥行きの豊かさが感じられる。
下肢は比較的短く、また衣には大波と小波を交互に刻むが、稜線を強く立てることなく落ち着いた風を保っているところは、東大寺法華堂本尊の不空羂索観音立像を思わせる。
頭上面はほとんど後補だが、正面の化仏の左右の2面と向って左側の少し高く付けられている1面は当初のものではないかとのこと。向って左側のものはよく見えないが、正面側の2面は確かに他の面と比べると引き締まり方が違うように思う。
さらに知りたい時は…
「ほっとけない仏たち37 雨宝院の千手観音像」(『目の眼』511)、青木淳、2019年4月
「雨宝院千手観音立像に就いて」(『美学』40巻2号)、大宮康男、1989年9月
『三十三間堂と洛中・東山の古寺』(『日本古寺美術全集』25)、集英社、1981年