醍醐寺仁王門の金剛力士像

  平安後期仁王像の基準作

住所

京都市伏見区醍醐東大路町22

 

 

訪問日 

2008年11月17日、 2019年8月17日

 

 

 

拝観までの道

醍醐寺は、京都市営地下鉄東西線の醍醐駅下車、東へ徒歩約10分のところにある。

または、山科駅と京阪六地蔵駅を結ぶ京阪バスで「醍醐寺前」下車。

 

醍醐寺ホームページ

 

寺の西側にある総門を入って真っすぐ進むと、仁王門がある。

 

 

拝観料

仁王門の金剛力士像(仁王像)だけなら無料。

伽藍と三宝院庭園拝観は、春期(3月20日から5月のゴールデンウィーク最終日まで)は一般1,500円。それ以外の時期は1,000円。

 

 

お寺のいわれなど

はじめ醍醐山(笠取山)上につくられた醍醐寺(上醍醐寺)だが、都からも近く、宇多上皇・醍醐天皇からの厚い尊崇を受けたこともあり、多くの貴族が参詣するところとなったため、919年に西の山麓に宿院の建設がはじまった。これが下醍醐伽藍のはじまりである。

やがて釈迦堂(金堂)、遅れて10世紀半ばに塔がつくられた。その後院政や室町幕府などと深い結びつきをつくって醍醐寺は大いに発展を続けたが、応仁・文明の乱で大打撃を受けた。これを復興したのが、豊臣秀吉とその子秀頼である。

 

本来醍醐寺の正門は南大門であったが、この時再興した西大門を正門とした。秀吉の発案だという。これが現在の仁王門である(焼失を免れた南大門仁王像は西大門に移され、南大門は再建されることはなかった)。

こうして、寺の西側の奈良街道から入り、まず三宝院の前に出て、さらに進むと仁王門から下醍醐伽藍に入るという現在の醍醐寺の姿となった。

 

 

拝観の環境

仰ぎ見る角度ではあるが、すぐ近くからよく拝観できる。

 

 

仏像の印象

仁王門の金剛力士像は、上述の通り桃山時代の仁王門内に安置されているが、像は古く、平安時代後期の作。

像内に修理銘があり、それによると1134年の造立とわかる。醍醐寺の記録にもこの像のことは記されていて、それによると作者は勢増、仁増であるという。 もと南大門安置、豊臣秀頼による醍醐寺復興にあたって修理され、以後現在の仁王門に置かれている。 

勢増、仁増については、東寺の仁王像(現存せず)も手がけ、奈良仏師の康助の弟子と書かれたものもあるが、不詳。

 

像は翻る天衣や両足先、手先や指の部分などに後補があるが、長年門に立って風雨にさらされたわりには当初部分が多く残り、平安後期の仁王像の基準作として大変貴重である。ただし、全身にまだらのように修理のあとが見えて、やや痛々しい。

ヒノキの寄木造で、像高は約360センチ。大きな像であるが、あまり迫力を感じないのは平安後期の仏像の穏やかさゆえであろう。頭部が大きくつくられているのも力強さよりも可愛らしさを感じさせている一因である。姿勢も静的で、鎌倉時代以後の仁王像のように筋骨隆々としてはいない。

 

 

さらに知りたい時は…

『仁王』、一坂太郎、中公新書、2009年

『醍醐寺大観』、岩波書店、2002年

『国宝醍醐寺展』(展覧会図録)、東京国立博物館、2001年

『解説版 新指定重要文化財3 彫刻』、毎日新聞社、1981年

『二王像』(『日本の美術』151』)、倉田文作、至文堂、1978年12月

 

 

仏像探訪記/京都市