法金剛院の十一面観音像
鎌倉期、院派の造像
住所
京都市右京区花園扇野町49
訪問日
2010年11月29日、 2020年11月15日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
JR山陰線の花園駅下車、駅の北側の丸太町通りを渡ってすぐ。
*2020年10月よりしばらくの間、毎月15日のみの拝観受付となっている。詳しくはホームページを参照のこと。→法金剛院ホームページ
拝観料
500円
お寺や仏像のいわれ
12世紀前半、鳥羽院中宮の待賢門院によって造立された法金剛院だが、その後衰微し、鎌倉時代後期の13世紀後半、円覚上人導御(どうぎょ、道御とも)によって復興された。
導御は律僧で、唐招提寺中興第2世である証玄の弟子である(現在も法金剛院は律宗寺院)。
法金剛院仏殿の本尊、阿弥陀如来坐像の向って左側に安置される十一面観音坐像は、導御の死後まもなくつくられた仏像である。像内の納入文書の中に多くの結縁者の名前が見えるが、その中には唐招提寺の証玄や叡尊、忍性など律宗系の高僧の物故者の名前も見える。
拝観の環境
十一面観音像は厨子中に安置されている。厨子の陰になって、頭頂部や光背はよく見えないが、全体はほぼよく拝観できる。
仏像の印象
珍しい4臂、坐像の十一面観音である。
像高は約70センチ。ヒノキの寄木造、玉眼。
第一手は胸前に構え、蓮華と錫杖をとり、第二手は横に出して、水瓶と数珠を持つ。
丸顔で、ほおはよく張る。目鼻立ちはよく整って、美しい。胸を豊かにつくり、腰を絞る。脚部の衣文の線は切れ味に欠け、どことなくもの足りない感じであるが、全体に華やかな仏像で、賑やかに身にまとったアクセサリーが整った像容をさらに引き立てる。
像底に銘文があり、また1929年の修理時に像内に多数の納入品がこめられているのが発見された。
それらによると、本像の制作は鎌倉末期。1316年に造立され、1319年に荘厳具が具備されて完成した。また、1312年から像完成の1319年にかけて毎日333体の印仏の「摺供養」が行われ、他の納入品とともに像内におさめられた。
像の発願者は円宗朝海とあるが、この人物については不詳。高僧から庶民まで1万人を越える結縁者を得ていることから、おそらく法金剛院中興の導御と関係の深い人物かと想像される。
仏師は法印院えん(「えん」の字は「さんずい」につくりは「宛」)、法眼院吉、法橋院聖など16名。中には院の字がつかない仏師もいるが、それらを含めて院派あげての造像であったと思われる。
それほど大きな仏像ではないが、律院として再出発をはかった法金剛院において、また造像にあたった院派仏師にとって、極めて重要な制作であったことがうかがわれる。
十二天が描かれた厨子も大変美しい。
その他
律宗寺院と4臂の十一面観音像の組み合わせの例としては、ほかに和歌山・広利寺の十一面観音立像が知られる(もと河内の西方寺に伝来した像で、当寺は西大寺末、すなわち律宗系の寺院であった)。
さらに知りたい時は…
『救いのほとけ』(展覧会図録)、町田市立国際版画美術館、2010年
『中世の律宗寺院と民衆』、細川涼一、吉川弘文館、1987年
「十一面観音の諸図像」(『古美術』76)、川村知行、1985年
「十一面観音像」(『国華』941)、長谷川誠、1971年12月