大将軍八神社の神像群
80躰もの神々の像
住所
京都市上京区一条通御前通西入3丁目西町55
訪問日
2011年5月1日、 2015年1月18日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
最寄り駅は京福電鉄の北野白梅町。
JRの駅では、山陰線円町(えんまち)が近い。下車後、北へ徒歩約15分。
市バスでは、「北野白梅町」下車南東300メートルまたは「北野天満宮」下車南西200メートル。
境内に宝物館(方徳殿)があり、5月初旬の5日間と11月初旬の5日間に公開されているが、その他の日も事前予約で拝観可能。
拝観料
500円
神社や神像のいわれ
この神社は一条通りに面している。平安京の1番北を東西に通っていたのがこの一条通りである。この神社は平安京の北部の中央にあった大内裏の西北の守りとしてつくられたものだそうだ。
祭神は大将軍で、これは陰陽道の方位の神さまとのこと。もともとは金星が神格化したものらしい。
かつては大将軍をまつるお堂はここ以外にもあり、京中にも上・中・下とあって、ここが上大将軍堂であった。
その後、大将軍社と名をかえ、さらに8方位の神さまという意味と、スサノオノミコトに男女8柱の子どもの神があったということを結びつけて、現在の大将軍八神社という名称となった。
他にもあった大将軍堂は、日本古来の神を祀ったものでないとして、近代の廃仏の時期に取り払われてしまい現存しないが、ここは早い段階で神社としての形を整えたことが幸いして、存続できたということのようだ。
なお、こうした経緯によって、主祭神はスサノオノミコトとなっている。
この神社には、平安時代の中期から後期にかけての像と思われる80躰もの神像彫刻が残されている。奈良国立博物館などに寄託されている像もあるが、収蔵庫の1階には70躰以上の神像が並び、圧巻である。
拝観の環境
方徳殿は本殿に向って右奥にあり、2階建ての大きな建物で、1階は神像彫刻、2階にはこの神社に伝わる天文、暦学などの諸史料が展示されている。
神像は展示室全体をとりまくようにならべられ、近くよりよく拝観できる。
神像の印象
像の半分以上は武装神像、残りが男神像、そして1躰のみ童子像がある。女神像は1躰もない。
武装神像は鎧兜をつけ、怒りの目をする。
男神像は冠をかぶり、平安貴族のような服を着る。若い感じで怒りをあらわにする神さまもいれば、あごひげをつけて、老境に入ったのか静かな感じの方もいる。
童子形の神さまは髪を左右にきれいに分け、当時のわらべの服装である水干と袴を着け、立て膝し、わらじを履く。かわいらしい。像高は50センチ余り。
童子形の像は残念ながら両腕は失われている、他の神さまも破損しているものが多い。
武装神像も男神像も、立像と坐像がある。また白色などの彩色が残る像、金箔が残る像もあり、よく見るとバリエーションがあるようだ。
武装神像の坐像には、足を組んでいる像と片足を踏み下げている像があるが、脚部が失われていたり、破損したりしているものも多い。また、兜の吹き返しのかたちや肩マント、腹帯をしている像していない像、手の印や持物など、少しずつ個性がある。全体としては似通った印象のものが多いが、よく見るときりりとした像もあれば、素朴な雰囲気の神さま、中には困ったような顔つきのお像もいて、面白い。
すでに寄進されていた像を見習いながら、次の世代の方がまた別の像を寄進するなどした結果であろうか。
神像の多くはヒノキの一木造(カヤ、カツラ、ケヤキの像もある)。像高は立像は140〜160センチくらい。坐像は30センチ弱の小さなものから1メートルを越えるものまで、さまざまである。
さらに知りたい時は…
『日本美術全集』4、小学館、2014年
『国宝大神社展』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2013年
『なら仏像館 名品図録』、奈良国立博物館、2010年
『日本の神様』、畑中章宏、理論社、2009年
『神仏習合』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2007年
「大将軍八神社神像群と神の表現」(『Museum』582)、丸山士郎、2003年2月
『神と仏』、藤森武、東京美術、1998年
『芸術新潮』1996年3月号(「日本の神々」)
『院政期の仏像』、京都国立博物館、岩波書店、1992年
『大将軍神像と社史』、大将軍八神社発行、1985年
『解説版 新指定重要文化財3 彫刻』、毎日新聞社、1981年
「大将軍神像」(『仏教芸術』86)、田中義恭、1972年7月