一念寺の阿弥陀如来像
東大寺から移されてきたと伝わる丈六像
住所
京都市伏見区下鳥羽南三町45
訪問日
2016年7月31日
拝観までの道
一念寺は京都の東を流れる鴨川と西を流れる桂川が合流する地点のそばに建つお寺である。
最寄バス停の「横大路」より北へ徒歩3分。「横大路」へは、京阪電鉄の中書島駅を出て北東に少し行った国道沿いのバス停「中書島」から京都市営バス22系統(横大路車庫方面)に乗車する。乗車時間は10分余り。バスの本数は日中1時間に2本。
なお、中書島駅前にはタクシーが常駐している。
拝観は事前連絡必要。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれなど
このお寺は古代に創建され、法相宗の元興寺末寺であったという。
室町時代に真阿上人(後亀山天皇の皇子と伝える)が再興し、浄土宗に改めた。この時東大寺浄土堂(念仏堂)から丈六阿弥陀仏が移されたと伝え、それが現在の一念寺本尊であるという。
拝観の環境
堂内でよく拝観させていただくことができた。
仏像の印象
像高は約220センチ。小さめの丈六像なので、周丈六ということになろう。鳥羽の大仏(おおぼとけ)とも呼ばれる。
ヒノキの寄木造で、彫眼。木材は細分化されたものを合理的に寄せているそうだ。
肉髻を高くし、螺髪は小粒でよく整う。ゆったりと安定感ある姿は典型的な定朝様の仏像であるが、ほおはそれほど膨らまず、精悍さが感じられる。眉がくっきりして、鼻筋がよく通り、くちびるもしっかりとつくって、それらが像に力強さを与えている。下まぶたのラインもくっきりして、半眼ではあるが、かなりしっかり目をあらわす。
胸は豊かに、衣の線は比較的深く、脚部は浅いが起伏をよくあらわす。
こうした特徴から、鎌倉時代に入ってからの造像かと思われる。
その他
この仏像の元所在地とされる東大寺浄土堂は、鎌倉時代初期に東大寺の再建にあたった重源によってつくられたお堂である。
このお堂には10躰もの丈六阿弥陀仏が安置されていたという。うち1躰は後白河法皇に仕えた高級女官が施入したもの。残る9躰は平清盛の郎従であった阿波民部大夫重能が阿波の国で造立した九躰阿弥陀堂の仏像であったという。
一念寺本尊が東大寺浄土堂からもたらされたという伝承を信じるならば、この中の1躰ということになる。
さらに知りたい時は…
『京都の美術工芸 京都市内編』下 、京都府文化財保護基金、1986年
『京都の文化財』第2集、京都府教育委員会、1984年
『京都社寺調査報告』2 、京都国立博物館、1981年